審査と結果
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「国立競技場のデザインコンペ (2012年)」の記事における「審査と結果」の解説
締切の2012年9月25日までに計46作品(国内12点 / 海外34点)が集まり、同10月30日に1次審査に残った11点 の作品が発表された。応募期間が短かったことから安藤委員長が海外の著名建築家らに直接メールを送ってコンクールを告知もした。 同年11月7日の最終審査では「未来を示すデザイン」「スポーツ・イベントの際の実現性」「技術的チャレンジ」「実現性」の4項目で判断された。11月15日に最終審査結果が発表され、ザハ・ハディドが経営するイギリスの建築設計事務所ザハ・ハディド・アーキテクトのデザインが「最優秀賞」、オーストラリアのコックス・アーキテクチャーが「優秀賞」、日本のSANAAおよび日建設計が「入選」を受賞した。2013年3月19日の表彰式には、関係者のほか義家弘介(文部科学大臣政務官)やSPORTS JAPAN アンバサダーらも招かれた。ザハ・ハディドには賞金の2000万円が贈られ、基本設計・実施設計・施工のそれぞれの段階で「監修」に当たることになった(後に監修料13億円を支払うデザイン監修契約も結ばれるに至った)。なお、コンペでは「実施設計者」は選ばれなかった。審査委員長の安藤忠雄は後に、このデザインコンペが「アイデアのコンペ」だったとの認識を示した。 応募期間が約2か月しかなかったことについて、2次審査まで残った渡辺邦夫が「コンペ自体が実際に作る競技場の案を募るためではなく、国際オリンピック委員会(IOC)に開催を認めてもらえる案を決めるために行われた」との見解を示した。IOCへの計画書提出期限は2013年1月に迫っていた。 審査員だった内藤廣も一個人の見解として2013年、「世論喚起を急ぐあまり、広告代理店による誤解を招くような事前の情報発信があったこと」を反省点に挙げた。内藤は翌2014年、シンポジウム「新国立競技場の議論から東京を考える」の場で、同席したザハ案に異議を唱え続ける槇文彦らに対し、当時コンペの応募資格を日本建築家協会の新人賞受賞者や日本建築学会の受賞者などまで広げるべきではと主張したが実現しなかったことを、打ち明けた(前記の一覧のように個人による応募資格のハードルは高かった)。内藤は審査で唯一、ザハ案建設費用についての懸念を示していた。 また同年7月には(2013年11月に続き)、応募時のハディドの案が公募条件の建設範囲を逸脱していたものの、事後修正すれば良いとJSCにみなされたことが、東京新聞によって報道された。 なお、芦原太郎(日本建築家協会長)の談話によると、ザハ・ハディドは新国立競技場の設計者ではなくデザイン監修者であり、設計は日本の設計者が担当するという、設計責任を負わない形式になっているという。
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