寝覚発電所の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 07:20 UTC 版)
寝覚発電所を建設したのは、大正・昭和戦前期にかけての大手電力会社大同電力である。発電所の建設地点は、大同電力が水利権を持っていた「駒ヶ根」地点を上下に分割したうちの上流側にあたる。下流側は桃山発電所として1923年(大正12年)に開発されたが、上流の寝覚地点は電力需要の関係で長く開発されなかった。 駒ヶ根地点から分割された時点での水利権許可では、最大使用水量は1,000立方尺毎秒(27.83立方メートル毎秒)に留まり、発電所出力は1万キロワット程度となる予定であった。大同電力ではその後の計画見直しで、 王滝川にて許可されていた「王滝第一」地点の下流側 木曽川上流部の木曽川電力「神戸」地点 支流小川の木曽川電力「小川」地点 の3地点を寝覚地点に組み入れて、落差を増加させるという計画を立てた。その上使用水量も増加し、王滝川から1,600立方尺毎秒(44.52立方メートル毎秒)、木曽川から500立方尺毎秒(13.91立方メートル毎秒)、小川から100立方尺毎秒(2.78立方メートル毎秒)、合計2,200立方尺毎秒(61.22立方メートル毎秒)を取水するという許可を得た。こうした計画変更を経て大同電力は1936年(昭和11年)9月に寝覚発電所建設に着手する。工事に伴い木曽川電力の既設神戸・小川両発電所を買収の上廃棄し、前述の通り神戸発電所については取水堰・導水路などの一部設備を改修し活用している。 寝覚発電所は1938年(昭和13年)9月に竣工、21日に運転を開始した。発電所建設にあわせ、関東方面への既設東京送電線、関西方面への既設大阪送電線の双方へと連絡する送電線が架設された。従って、寝覚発電所では東西どちらにも送電できるよう、50ヘルツ・60ヘルツどちらの周波数でも運転可能な水車発電機を備えている。 1939年(昭和14年)4月1日、電力国家管理の担い手として国策電力会社日本発送電が設立された。同社設立に関係して、大同電力は「電力管理に伴う社債処理に関する法律」第4条・第5条の適用による日本発送電への社債元利支払い義務継承ならびに社債担保電力設備(工場財団所属電力設備)の強制買収を前年12月に政府より通知される。買収対象には寝覚発電所など14か所の水力発電所が含まれており、これらは日本発送電設立の同日に同社へと継承された。なお継承直前の1939年3月、木曽川からの取水を625立方尺毎秒(17.39立方メートル毎秒)に、小川からの取水を140立方尺毎秒(3.90立方メートル毎秒)にそれぞれ引き上げて使用水量を合計2,365立方尺毎秒(65.80立方メートル毎秒)とする許可を得て、同時に発電所出力を当初の3万2,600から3万5,000キロワットに増強している。
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