安倍の童子鳥語を聞ける付晴明という名をたまわりし事
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「安倍晴明物語」の記事における「安倍の童子鳥語を聞ける付晴明という名をたまわりし事」の解説
(承前) 村上天皇の天徳4年(西暦960年)、後涼殿より出た火により内裏全部が消失したが、翌年再建された。 あるとき、安倍の童子は天王寺(四天王寺)を詣でて、その軒先で休んでいた。その堂宇の上に都のカラスと富士浅間大菩薩の使いで熊野に参る途中のカラスが止まり、世間話を始める。その話によると… 天皇の病気が薬の処方でも、加持祈祷でも直らないのは、これが祟りによるものだからだ。祟りをなしているのは、去年の内裏造営の折、柱の礎に生け贄として捧げられた蛙とへび(虵)で、両者が相争っている怒りが天に昇って天皇の病気の原因になっているという。これを取り除けば病気は平癒するということだった。 話を聞いていた安倍の童子は家に帰って占ってみたが、カラスの言うとおりであり、やがて都に上り、「自分は和泉国に住まう安倍仲麿の末裔、安倍の童子治明(はるあきら)という者である。天文地理易暦を独学で会得し、天下無双の占いを行う。このたびは天皇の病気の原因を占いたい」と奏上した。 治明は公卿の詮議を受けることとなり、唐櫃の中身当て(入っているのはみかん48個)で試される。治明は占いを行った後、「中身は生き物で、形は丸い。48個の卵です」と答えた。居並んだ諸卿は内心「間違って答え、恥ずかしいやつ」と思ったが、雑役係がふたを開くと、なんと卵が入っている。なんでみかんが卵に変わったのか調べると、係の者が命令を受けて入れる物を変えたことが判明した。これほどの占いを行ったことは奇特なこととして、急ぎ天皇の病気についても占わせることとなった。治明には病気の原因はカラスの話やその後の占いでわかっていたので、柱の礎の下の蛙とへびを掘り出して捨てれば病気は治ると告げた。その通りにしたところ、病気は平癒し、天皇も公卿たちも感嘆すること、この上なかった。 この功により、即座に位階も5位となって昇殿を許されるようになり、陰陽頭に抜擢される。さらに、この日が二十四節気の清明節に当たったことから、「晴明」という名を賜ることとなった。続いて除目が行われ、易暦博士および縫殿頭(ぬいのかみ)に任じられ、天下にその名を広めた。さらに西洞院に屋敷を与えられ、常時に禁中に伺候することとなり、安倍野周辺に300町の領地が与えられた。
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