学位取得後の研究活動
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「斎藤功 (地理学者)」の記事における「学位取得後の研究活動」の解説
学位取得後は、東京学芸大学の市川健夫や筑波大学の山本正三らとともにブナ帯研究に着手し、1976年(昭和51年)1月に助教授に昇進、1981年(昭和56年)4月に筑波大学に転任し、地球科学系助教授となる。筑波大学へ転任後もブナ帯研究を継続し、1984年(昭和59年)に『日本のブナ帯文化』(朝倉書店)を共著で出版、翌1985年(昭和60年)には一般向けに『再考 日本の森林文化』(NHKブックス)を市川と共著で発表した。個人研究としては東南アジアや南アメリカの熱帯地域、特にブラジルをフィールドとして多彩な研究成果を発表した。日本をフィールドとした研究では、野菜のF1品種、果物のCA貯蔵、小中学校の農繁休暇などを研究した。 1992年(平成4年)10月、教授に昇進する。多くの学生を抱え、筑波大学では地誌学分野の代表を務めると同時に地球科学研究科長や自然学類長を歴任して人文地理学分野の地位向上と大学院に空間情報科学分野の新設を実現し、日本地理学会では集会、企画、欧文機関誌の各専門委員を務め、1998年(平成10年)から2年間常任委員長に就任、学会の法人化に向けた準備に尽力した。そうした多忙の中でも各種役職に関する事柄や愚痴を語ることは一切なく、研究室で学生を相手に茶を飲みながら、研究上の経験談を話していたという。研究者としても多忙の合間にアメリカ合衆国へ出かけグレートプレーンズ(アメリカ大平原)やカリフォルニア州を調査した。筑波大学の教員生活の末期である2004年(平成16年)には日本地理学会会長に就任、2年間務めた。会長講演では、自身の研究成果を振り返る内容を語る会長が多い中で、齋藤はカリフォルニアの大規模酪農家の立地移動という研究中のテーマで講演を行った。2005年(平成17年)には筑波大学大学院の巡検先にカリフォルニアを選定し、自ら景観の読み解き方や地理学的な見方を説いた。
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