始祖名や国名のキとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 始祖名や国名のキの意味・解説 

始祖名や国名(地名)のキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 14:01 UTC 版)

キ (称号)」の記事における「始祖名や国名地名)のキ」の解説

4〜6世紀地方男子首長または統治者の名称語尾に「キ」が使われている例として、次のような人物あるいは始祖伝えられている。国造始祖としては能等国造の祖オオイリキ(大入大入来)、下海上国造の祖クツキ(久都伎直)、佐渡国造の祖オオアラキ(大荒木直)、新治国造の祖ミツロキ(美都呂岐命)の児、および阿波国造の祖オオタキ大伴大瀧)である。氏族始祖地域首長考えられるものとしては但馬氏の始祖一人「ヒナラキ(比那良岐、日)」、物部氏始祖一人「オオヘソキ(大綜)」、ヤマトタケルの子孫で淡海国柴野地方の「シバノイリキ(柴野)」、多氏の祖「タケモロキ(武諸木)」そして皇室の祖の一人ニニギ(邇邇芸、瓊瓊杵)」が見られる。 また「キ」が古くから使われたと思われる地名を負う人名一つに「シキ磯城志貴、師木)」(大和国磯城郡)がある。 神武天皇征服し都と定めたとされる磯城地方現在の奈良県桜井市付近)には、それ以前にこの地を治めていたニギハヤヒ系の兄磯城および弟磯城呼ばれる首長伝えられている。磯城首長関係していると考えられる「シキツヒコ(師木津日子磯城津彦)」の子孫が伊賀国尾張国の「イナキ稲置)」の祖になり、「シキツヒメ(磯城県主真鳥媛)」から物部氏連なる志貴連の始祖「ヒコユキ(彦湯支)」が伝えられている。また「シキツヒコ」(安寧天皇磯城県主の子の子孫「三野稲置美濃稲木)」の地の可能性が高い尾張国丹羽郡稲木郷は「イナギ稲木)氏」の本拠地考えられ稲木神社稲木天神)が残されている。 美濃国不破郡の「イフキまたはイホキ」(伊福貴、伊夫伎、五百木地方現在の岐阜県大垣市)は景行天皇の子「イオキイリヒコ(五百城入彦皇子)」が遣わされ統治者となった地方で、ヤマトタケル征服できなかった「伊吹」の地とも考えられている。この地を本拠とした伊福部氏または五百木部氏は、氏神または始祖の「伊福貴大明神」をここで伊富岐(伊夫伎)神社祭っている。 他に3〜4世紀皇族崇神天皇垂仁天皇景行天皇の子孫が統治者や姫として迎えられたり(イリヒコ、イリヒメ)、領地分け与えられたり(ワケ)している地方は、それ以前首長存在していたことを前提としている。そうした地方の中で「キ」の語尾名称を持つ地名には能登国の「イワキ石城、磐木)」、伊賀国の「ヒジキ比自岐)」、伊予国の「トホキ(十城)」などがある。 このように見てくると4〜5世紀地方男子首長あるいは統治者語尾名称として「キ」が使われていたことがわかる。しかし、古代称号語尾としてよく見られるヒメヒコ、ミ、ネなどに比べると「キ」の称号付けている人物少ない。しかも「キヒコ」「キヒメ」など称号重複して「キ」の称号としての意味が失われ、「ヒコ」や「ヒメ」の称号に取って代わられている例も見られる。これは後から優勢となってきた「ヒメヒコ」称号対し古くから存在していた「キ」の称号使われなくなったためと理解することができる。

※この「始祖名や国名(地名)のキ」の解説は、「キ (称号)」の解説の一部です。
「始祖名や国名(地名)のキ」を含む「キ (称号)」の記事については、「キ (称号)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「始祖名や国名のキ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

始祖名や国名のキのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



始祖名や国名のキのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのキ (称号) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS