天井川と新河道の開削
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:06 UTC 版)
草津川の水源となる金勝・田上山系は風化した花崗岩で形成されたもろい地質で、大雨で多量の土砂が流出することが天井川化を促したと考えられる。草津川の天井川化は江戸時代に始まるとされている。古文書から1700年代末ごろまでは天井川であったことを確認できず、河底に国道のトンネルを開通させた明治19年までの間に、多量の土砂流出と堤防の積み上げにより短い期間に一気に形成されたものと考えられている。天井川が形成されて以降は、増水のたびに河川の氾濫を繰り返すようになったことが、記録に多く残された。さらに近年になると草津市が京阪神地区のベッドタウンとして発展した。そのため、市街地を南北に分断することになる。人口と資産の増大にともない被害も甚大なものとなっていった。この対策として現存河川の河底を掘り下げることよりも、新河川への切り替えが防災面コスト面とも有利であると判断され、2002年に放水路による下流部の付け替えが行われた。 1886年(明治19年)3月 - 中山道・草津川隧道(草津マンポ)完成。(旧国道2号) 1889年(明治22年)7月 - 東海道本線の単線トンネル(非電化)が開通。 1900年(明治33年)6月 - 東海道本線の単線トンネル(非電化)が開通。単線トンネル2本になり同区間が複線化。 1936年(昭和11年)3月 - 草津川隊道(トンネル)完成。国道2号→国道1号(現上り線)。高架の高さ4.3m。純RC道路トンネルで記銘入りでは、滋賀県下で最古。 1956年(昭和31年)11月 - 東海道本線の直流電化のため旧トンネルの西隣に単線トンネル(電化)2本が開通。旧トンネルから線路が切り替えられる。 1964年(昭和39年)3月 - 中山道・草津川隧道(草津マンポ)改修し、高さ・幅を広げて、現在の形となる。 1966年(昭和41年)3月 - 国道1号の新草津川トンネル工事現場で増水によって堤防が崩れ落ちる。 1970年(昭和45年)3月 - 東海道本線トンネルの西隣に単線トンネル(電化)2本が追加。複々線化される。 1971年(昭和46年)- 第二草津川トンネル完成。国道1号(現下り線)。上下路線分離。 1982年(昭和57年)6月 - 草津川放水路工事着手。 1989年(平成元年)- 草津川隧道内の塗り替え工事で、草津市にゆかりのある浮世絵が壁面に描かれた。 1992年(平成4年)4月 - 指定区間外として国土交通省の直轄管理に代わる。 2002年(平成14年)7月 - 草津川放水路(現・草津川)本通水式。試験通水6/14~ 2009年(平成21年)4月 - 滋賀県に管理を移譲。
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