旧トンネル
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旧トンネルは1897年8月20日に着工し、1900年12月20日に完成した。主任技術者は、1893年に開通したスイッチバックによる暫定路線と同じく、ジョン・フランク・スティーブンス(英語版)が務めた。トンネルの直上にあるスティーブンス峠は、彼の名にちなんで名づけられている。 トンネルは東に向けて17 ‰の上り勾配で建設されたが、これは制限勾配である22 ‰に近い急峻な勾配であった。また、開業当初は非電化で蒸気機関車による運行であったため、煤煙がトンネル内に充満するという問題を抱えていた。 このため、トンネルを含む路線長4マイル(線路長6マイル)の区間について電化工事が行われる事となり、1909年7月10日に完成した。電化方式はアメリカでは珍しい6,600 V・25 Hzの三相交流で、電力はレヴェンワース(英語版)のすぐ西側のウェナチー川 (Wenatchee River) に建設された水力発電所から供給されていた。 この区間を走る電気機関車として、アメリカン・ロコモティブ製の箱型機関車4両が導入された。電装品はゼネラル・エレクトリック製で、1,500馬力の出力を発揮し重量は115 tであった。当初は3両の重連で運用され、列車を15.7 mph(約25.1 km/h)で牽引した。しかし、より重量の大きな列車を牽引する必要が生じたため、電動機を直列につなぐ措置が執られた。その際、電力供給の上限超過を避けるために速度は半分の7.8 mph(約12.5 km/h)に落とされた。 開通当初より、このトンネルは雪崩の問題に悩まされ続けた。1910年3月1日、カスケードトンネルの西側坑口に近いウェリントン(英語版)(事故後タイ Tye に改名)において雪崩の影響で列車が脱線する事故が発生し、96人以上が死亡するというアメリカ史上最悪の雪崩災害となった。この事故を受けて新トンネルの建設が促進され、1929年の新トンネル開通に伴って旧トンネルは廃止された。 2007年から2008年にかけての冬期に、旧トンネルの一部区間で天井が崩落し、トンネル内を塞いだ。この残骸と溢れた水のために歩行者も通行できなくなっている。当面の間、西側坑口から1.5マイル(約2.4 km)の範囲に立ち入らないよう警告が出されている。
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旧トンネル
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初代の小別沢トンネルは、1927年(昭和3年)ころから2年をかけ、小別沢地区住民によって人力で100メートルほど掘られたのを始まりとする。 その後、鉄筋やコンクリートによる補強が行われてきたが、新トンネルの開通とともに閉鎖され、中に入ることはできなくなった。 小別沢側の入り口近くには、何を祀っているとも知れない小さな祠がある。
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