大衆のためのコンピュータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:12 UTC 版)
「コモドール」の記事における「大衆のためのコンピュータ」の解説
コモドールの技術部門を引き継いだ Chuck Peddle は、すでに電卓の時代は終了してホームコンピュータの時代が来ていることをトラミエル社長に示した。 Peddleはモステクノロジーがかつて開発したワンボードマイコンKIM-1(1975年)を元に、QWERTY配列のキーボードとモノクロディスプレイとデータレコーダを備えた世界初のオールインワンパソコンPET 2001 (1977年)を設計し、これによってカナダの電卓メーカーに過ぎなかったコモドールはコンピュータ会社へと変貌した。 なお、1977年にはコモドールは Commodore International, Ltd. へと再編し、事業上の本社をカナダからモステクノロジー本社の近くのペンシルベニア州ウェストチェスターへと移転している(ただし財政上の本社はタックス・ヘイヴンのバハマ)。 PETはその堅牢さから主に学校で使われ、グラフィックとサウンドが重要視されるホームパソコン市場ではさほど人気は出なかった。これは1981年に発売された後継機のVIC-20 で解決される。US$299で販売され、SFドラマ『スタートレック』で主役の人気俳優ウィリアム・シャトナーを起用し "Why buy just a video game?"(なぜ単なるゲーム機を買うの?)とゲーム機ユーザーにアピールする印象的なCMを打ったVIC-20は100万台以上を売り上げた史上初のパソコンとなり、最終的に250万台を売り上げる大ヒットとなった。 1982年、コモドールはVIC-20の後継機としてコモドール64(C64)を発売。モステクノロジーの開発した高性能なICと大容量の64KBメモリによってC64は当時としては驚異的なサウンド性能とグラフィック性能を誇り、デモシーンという文化も生み出した。US$595の価格はVIC-20と比べるとかなり割高だったが、市場のほかの64KBメモリを搭載したパソコンと比べるとはるかに安かった。コモドールはCMで、「この2倍の金を払っても、これよりよいパソコンを買うことはできない」と豪語した。 1983年よりコモドールは "home computer war" と呼ばれる低価格競争を開始し、VIC-20とC64の大幅な値引きを行った。 TI-99/4Aを発売したテキサス・インスツルメンツ、Atari 800を擁するアタリ、などなど、ホームコンピュータの中でもビジネスよりで高級志向のMacintoshを投入したApple Computer以外のすべてのメーカーを巻き込んだこの低価格競争に勝利したコモドールは、それまで一部の人間のものであったコンピュータを広く大衆に行き渡らせ、C64の出荷台数は最終的に2200万台を超えた。 トラミエル社長はこの頃、「我々は一部の階級のためではなく、大衆のためのコンピュータを作らなければならない」 ("We need to build computers for the masses, not the classes") との有名な言葉を残した。 しかし、コモドール経営陣はトラミエル社長の低価格路線から抜け出したいと考えるようになる。1984年1月、コモドール内部の権力闘争の果てにトラミエル社長が辞任する。
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