大和・武蔵とは? わかりやすく解説

大和・武蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 05:17 UTC 版)

征途」の記事における「大和・武蔵」の解説

両艦とも1944年10月捷一号作戦までは史実とほぼ変わらない捷一号作戦時、大和は、史実では副長の能次郎中佐当時)が砲術長を兼任していたが、この作品では新任藤堂明中佐砲術長を務めていたことにされている。 シブヤン海で、武蔵代わりに長門米海軍高速空母機動部隊空襲により沈みサマール島沖での米護衛空母部隊との戦闘中大和被弾栗田健男中将以下の第二艦隊司令部宇垣纒中将以下の第一戦隊司令部、森下信衛艦長、能副長らが全員戦死する(この時、大和艦橋命中したのは利根主砲流れ弾だったが、作品世界内でその事明らかになったかどうかは不明また、この利根砲弾は後に北日本秘密警察長官となった滝川源太郎兵器工廠仕上げたものとも示唆される記述もある)。大和指揮藤堂砲術長が代行し武蔵他の僚艦と共にホモンホン沖で真珠湾帰りの米旧式戦艦6隻を撃沈。さらにレイテ湾で「セント・クリスピンの虐殺」と呼ばれる上陸船団及び海岸堡対す艦砲射撃行った本土帰還後大和損傷修理兼ねた大改装を受ける。また、武蔵についても電探更新機銃などの増設が行われた。 1945年7月25日武蔵以下重巡2、軽巡1、駆逐艦10からなる第2艦隊司令長官伊藤整一中将武蔵艦長・藤明大佐)は沖縄沖で戦艦8、重巡最低3からなる米軍54任務部隊激突した台風影響もあって混乱した米軍戦力逐次投入してきた事も幸いし武蔵戦艦ミズーリニュージャージーインディアナ他1隻(作中描写からおそらくアイオワ)を撃沈し、他に戦艦数隻を大破させたが、ウィスコンシンなどの反撃受けて甚大な被害を受け、最終的に沈没する1945年8月21日大和少数駆逐艦からなる水上部隊石狩湾来襲したソヴィエト艦隊迎撃戦艦ガングートセヴァストポリアルハンゲリスク輸送船多数撃沈撃破する大和自身被弾し黛治夫艦長らが戦死する致命傷とはならなかった。一方、既に道北地方制圧しつつあったソヴィエトは、この敗戦によって北海道全島占領が困難となり、米軍意図的にソ連軍に近い旭川函館反応弾投下したことによって日本降伏第二次世界大戦終結した

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大和、武蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:25 UTC 版)

銀河戦国群雄伝ライ」の記事における「大和、武蔵」の解説

両艦とも第一次南征によって消耗した4077師団新たに配備され戦艦新たに徴兵され新兵乗組員のため、簡単な射撃訓練でも的を外しあまつさえ金剛誤射してしまうという醜態さらした

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