大会にまつわるエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 17:32 UTC 版)
「オセロ (ボードゲーム)」の記事における「大会にまつわるエピソード」の解説
a b c d e f g h 1 1 2 2 3 3 4 4 5 5 6 6 7 7 8 8 a b c d e f g h 第19回世界オセロ選手権大会決勝 為則英司 vs. デイビッド・シェイマン(為則がg2に打った局面) 1977年、第1回アメリカ合衆国オセロ選手権が開催された。なみいる強豪プレイヤーたちを打ち負かして優勝したのは女性数学者のキャロル・ジェイコブズ。ボードゲームの分野で女子選手の優勝は非常に珍しい出来事だった。ジェイコブズは、翌1978年の第2回世界オセロ選手権にも出場して準優勝。女性が世界2位に輝いたことは世界中で話題になった。オセロ開発者の長谷川五郎は、「20世紀の巴御前」とその偉業を称えた。 1981年、第5回世界オセロ選手権の終了後、お別れパーティーの席で各国の代表選手たちはそこかしこでオセロの記念対局を始めた。選手ではないものの関係者として同席していたオセロ開発者の長谷川は、イタリア代表選手のピエール・モローリから勝負を挑まれた。モローリの挑戦を受けて立った長谷川は、64対0のパーフェクト勝ち。目にした者からは「ストロンゲストマン(最強の男)!」と感嘆の声が上がった。 為則英司は、1988年から1990年までオセロ名人戦、全日本オセロ選手権、世界オセロ選手権の都合9回のメジャー大会すべてで優勝。全日本選手権では26連勝を記録し、あまりの強さから「鬼神」と呼ばれ、恐れられた。1991年、名人戦、全日本選手権で相次いで若手実力者に敗れた為則は長らくタイトルから遠ざかることとなった。しかし、4年後の1995年に復活した為則は、全日本選手権を制すると世界選手権でも決勝まで勝ち上がり、デイビッド・シェイマンと対戦。大舞台で勝負手のX打ちが決まり、世界一の座に返り咲いた。 1982年、第6回世界オセロ選手権で当時15歳の谷田邦彦が優勝し、最年少記録を樹立した。この記録はギネス世界記録にも登録された。36年後、2018年の第42回世界オセロ選手権で当時11歳の福地啓介が優勝し、谷田の記録を大幅に更新した。このとき、福地が帰国の際に搭乗した全日本空輸の航空機の機長は、従前の記録保持者の谷田だった。谷田が機内アナウンスで福地を称え、自己紹介を行うと、機内は驚きと拍手に包まれた。 2019年の第43回世界オセロ選手権は、当初香港で開催予定だったが、逃亡犯条例改正案をめぐる混乱を受け、世界オセロ連盟が中止の決断を下した。そこで、代替地として開催実績のある東京が挙がり、1996年以来、実に23年ぶりに東京での開催が実現した。大会では、ホスト国となった日本が無差別部門の表彰台(1位から3位まで)を独占し、団体戦でも優勝を飾った。
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