大ホールの映画館時代とは? わかりやすく解説

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大ホールの映画館時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/30 10:21 UTC 版)

滋賀会館シネマホール」の記事における「大ホールの映画館時代」の解説

1954年昭和29年6月15日大津市滋賀県庁前に滋賀会館開館当時大津市内にはコンサートホールはもちろん百貨店も存在せず大規模なイベントきまって滋賀会館ホール開催された。滋賀会館映画・演劇音楽など滋賀県民に提供する文化発信拠点だった。地下1階地上5階建の滋賀会館内には滋賀県立図書館ホテル結婚式場レストランもあり、1963年昭和38年)には180組が滋賀会館挙式している。建物1階には約1,100席の大ホール設置されており、1998年平成10年)に滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール開館するまでは、滋賀会館ホール滋賀県唯一のホールとして数々イベント使用された。 1953年時点滋賀県には23館(大津市6館、彦根市3館、長浜市3館、郡部11館)、大津市には6館(大黒座、公楽座大勝館東洋劇場大津日活石山館)の映画館存在した1954年7月31日には初めて大ホール映画自主上映が行われ、初上映作品『風と共に去りぬ』ヴィクター・フレミング監督)は半月の上映期間中12,229人の観客集めている。9月1日には興行場営業許可取得して常設映画館となり、洋画中心に上映行った都道府県運営する映画館全国でも珍しかったという。県営であることを活かして学校行事映画鑑賞会などにも使用された。開館初年には18万人入場者があり、2年目には26万人増加した大津市映画館一覧(1960年)館名所在地上映作品座席数大黒座 石橋町 洋画 580 公楽座 丸屋町 松竹大映 440 大津東映有楽座甚七町 東映 570 石山石山鳥居川町 松竹大映東映 340 東洋映画劇場 石山鳥居川町 日活東宝新東宝 320 滋賀会館 東浦1 洋画 1,630 1958年昭和33年)頃が滋賀県映画館数のピークであり、34館が存在した1960年大津市には6館の映画館存在し滋賀会館座席数は他を圧倒する1,630席だった。滋賀会館洋画ロードショー館であり、民間運営する映画館東映東宝大映松竹などの邦画上映した。ただし『七人の侍』(黒澤明監督)などの例外存在する1962年昭和37年12月には70mmフィルム用の映写機設置され映写設備京都市内映画館しのいで西日本最大謳われている。しかし、貸館需要の増加映画館入場者数減少理由に、1968年昭和43年)には一般向け映画上映縮小した

※この「大ホールの映画館時代」の解説は、「滋賀会館シネマホール」の解説の一部です。
「大ホールの映画館時代」を含む「滋賀会館シネマホール」の記事については、「滋賀会館シネマホール」の概要を参照ください。

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