夜明け前とは? わかりやすく解説

夜明け前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/25 04:39 UTC 版)

夜明け前
著者 島崎藤村
発行日 1929年 - 1935年
発行元 中央公論新潮社
ジャンル 長編小説
日本
言語 日本語
ウィキポータル 文学
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夜明け前』(よあけまえ)は、島崎藤村による長編小説、2部構成。「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで始まる。藤村の父をモデルに明治維新前後の歴史を、当時の資料をふんだんに使い、個人と社会の動向を重層させて描いた小説

日本近代文学金字塔であり、最大のドキュメントの一つと評される[1]プルースト失われた時を求めて』、ジョイスユリシーズ』、フォークナーアブサロム、アブサロム!』、ガルシア=マルケス百年の孤独』と並ぶ二十世紀の十大小説として日本人作品として唯一選ばれている[2]

概要

アメリカ海軍のペリー来航1853年前後から1886年までの幕末明治維新の激動期を、中山道宿場町だった信州木曾谷馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬籠)を舞台に、主人公・青山半蔵[3]をめぐる人間群像を描き出した藤村晩年の大作である。青山半蔵のモデルは、旧家に生まれて国学を学び、役人となるが発狂して座敷牢内で没した藤村の父親・島崎正樹である[4][5]

中央公論』誌上に、1929年(昭和4年)4月から1931年10月(第一部)、1932年4月から1935年(昭和10年)10月まで(第二部)断続的に掲載され、第1部は1932年1月、第2部は1935年11月に、新潮社で刊行された。

1934年11月10日に、村山知義脚色、久保栄演出「夜明け前」(三幕十場)が新協劇団により築地小劇場で初演された。

1953年新藤兼人脚色、吉村公三郎監督により映画化された。

あらすじ

第一部

中仙道木曾馬籠宿で17代続いた本陣庄屋の当主青山半蔵は、平田派国学を学び、王政復古に陶酔。山林古代のように皆が自由に使う事ができれば生活はもっと楽にできるであろうと考え、森林の使用を制限する尾張藩を批判していた。

和宮下向、長州征伐など歴史の動きが宿場にも押し寄せる。やがて大政奉還の噂が流れ、村人たちは「ええじゃないか」の謡に合わせて踊り歩いた。半蔵は中津川の友人から王政復古が成ったことや京都の情勢を聞き、篤胤の「一切は神の心であろうでござる」という言葉を胸に思い浮かべる。

第二部

半蔵は下層の人々への同情心が強く、新しい時代の到来を待っており、明治維新に強い希望を持つ。しかし、待っていたのは西洋文化を意識した文明開化政府による人々への更なる圧迫など、半蔵の希望とは異なっていた。更に山林の国有化により、一切の伐採が禁じられる。半蔵はこれに対し抗議運動を起こすが、戸長を解任され挫折。また、嫁入り前の娘・お粂が自殺未遂を起こすなど、家運にも暗い影が差してきていた。

村の子供たちに読み書きを教えて暮らしていた半蔵は、意を決して上京。自らの国学を活かそうと、国学仲間のつてで、教部省に出仕する。しかし、同僚らの国学への冷笑に傷つき辞職。また明治天皇の行列に憂国の和歌を書きつけた扇を献上しようとして騒動に。その後、飛騨にある神社の宮司になるも数年で郷里へと戻る。

半蔵の生活力のなさを責めた継母の判断で、四十歳ほどで隠居することとなり、読書をしつつ、地元の子供たちに読み書きを教える生活を送る。だが、次第に酒浸りの生活になっていく。

維新後の青山家は世相に適応できず、家産を傾けていた。親戚たちは「この責任は半蔵にある」と半蔵を責め、半蔵を無理やり隠居所に別居させると共に、親戚間での金の融通を拒否し、酒量を制限しようとする。温厚な半蔵もこれには激怒し、息子である宗太に扇子を投げつけた。

そして半蔵は、国学の理想とかけ離れていく明治の世相に対する不満や、期待をかけて東京に遊学させていた学問好きの四男・和助[注釈 1]が半蔵の思いに反し英学校への進学を希望したことなどへの落胆から、精神を蝕まれる。そして、自分を襲おうとしている『敵』がいると口走るなど奇行に走っていく。ついには寺への放火未遂事件を起こし、村人たちによって狂人として座敷牢に監禁されてしまう。

当初は静かに読書に励んでいたが、徐々に獄中で衰弱していく。最後には自らの排泄物を見境なく人に投げつける廃人となってしまい、とうとう座敷牢のなかで病死してしまった。遺族や旧友、愛弟子たちは、半蔵の死を悼みながら、半蔵を丁重に生前望んでいた国学式で埋葬した。

大黒屋日記

馬籠で造り酒屋を営んでいた大黒屋(作中の伏見屋)の当主、大脇兵衛門信興(明治3年没)は40年以上にわたる日記帳を書き残した。明治時代の大脇家は木曽一番の地主だったという。藤村は大脇家から日記帳を借り出し、第一部の参考資料とした。藤村が作成した抜粋(大黒屋日記抄)が『藤村全集』第15巻に収められている。

映画

1953年10月13日公開。近代映画協会劇団民藝と共に製作し、民藝の俳優が総出演している。配給は新東宝第8回毎日映画コンクール撮影賞を受賞(宮島義勇)。

スタッフ

乙羽信子と子ども達

キャスト

脚注

注釈

  1. ^ 島崎藤村自身がモデル

出典

  1. ^ 中野好夫「解説」現代日本文学館11、文藝春秋、昭和44年、726-727頁
  2. ^ 篠田一士二十世紀の十大小説』新潮社
  3. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰 編『コンサイス日本人名辞典 第5版』、三省堂、2009年、9頁。
  4. ^ 青山半蔵 あおやま はんぞうコトバンク
  5. ^ 島崎正樹 しまざき まさきコトバンク

参考文献

関連項目

外部リンク





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