増強と航空攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 02:23 UTC 版)
「ラインバッカー作戦」の記事における「増強と航空攻撃」の解説
アメリカと南ベトナム両空軍の航空機は攻勢の開始当初から天候が良好なら防戦の支援をおこなっていた。これにはコーラル・シーとハンコックの2隻の空母から出撃した機体も参加している。天候が悪化すれば米軍機の作戦能力を低下させ北ベトナムの攻勢への対抗を困難にした。4月6日、海軍と地上航空基地においてアメリカ軍の艦船および航空飛行隊が東南アジアへの移動を開始した。 アメリカ軍は航空戦力の増強を速やかに開始した。空軍は4月1日から5月11日のコンスタントガード作戦にかけて146機のF-4戦闘機および12機のF-105戦闘爆撃機を韓国やタイの空軍基地から配備した。4月4日から5月23日にかけてのブレットショット作戦では戦略航空軍団は保有する209機のB-52のうち124機をベトナムに急送した。海軍は空母キティホークとコンステレーションの入港期間を短縮し、一挙に投入できる航空戦力を増強するためミッドウェイとサラトガの空母2隻が艦隊に追加された。第7艦隊の投入する艦艇は84隻から138隻に増加した。 アメリカ空軍の北ベトナムに対する北緯20度線への戦術爆撃は4月5日に公認されフリーダムトレインと愛称がつけられていた。B-52による北ベトナムへの最初の大規模爆撃4月10日で、12機のB-52が53機の攻撃機の支援と共にヴィン周辺の石油貯蔵施設に対する爆撃をおこなった。4月12日にニクソン大統領はキッシンジャーにハノイやハイフォンへの直接爆撃を含むさらに大規模な包括的空爆作戦をおこないたいと伝えた。 翌日に18機のB-52がタインホアのバイトゥオン空軍基地に出現した。このB-52は南部パンハンドルまで作戦を制限されており、しばらくして北への攻撃から撤退し6月にまた戻ってくる。三日後に再び攻撃があり、このときは別の18機の爆撃機がハイフォン近くの石油タンクを夜明け前に襲撃した。ほかに100機以上の戦術航空機が日中にハノイ、ハイフォン周辺を爆撃した。アメリカ軍航空機はタインホア橋とドゥメール橋への攻撃やイエンヴィエン鉄道操車場などへの攻撃も成功させている。これは北ベトナムの戦略目標にレーザー誘導爆弾の使用が有効だと示した。これらの橋は以前にも無誘導爆弾での攻撃を何度も試みたが失敗していた。
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