執筆者とキット
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「ポピュラーエレクトロニクス」の記事における「執筆者とキット」の解説
編集者のオリヴィエ・フェレルは,興味深い電子工作プロジェクトを寄稿してくれる執筆家たちを継続して開拓してきた。これらのプロジェクトは、『ポピュラーエレクトロニクス』のスタイルを何年にもわたって確立して行った。最も多作だったのは、ダニエル・メイヤーとドン・ランカスター(英語版)の2人である。 ダニエル・"ダン"・メイヤーはサウスウェストテキサス州立大学を1957年に卒業し、テキサス州サンアントニオにあるサウスウエスト・リサーチ・インスティテュート(英語版)の研究者となっていた。大学を卒業した頃から、彼はホビイスト向けの記事を書き始めた。初めての記事は『エレクトロニクスワールド』1960年5月号に掲載され、その後『ラジオ=エレクトロニクス』誌では1962年10月と11月号の2号続けて表紙記事となった。『ポピュラーエレクトロニクス』1963年3月号では、彼が設計した超音波聴取装置が表紙を飾った。 ドン・ランカスターはラファイエット大学(1961年)とアリゾナ州立大学(1966年)を卒業した。1960年代には、音楽に合わせて色のついた照明を点灯させることが流行していた。このサイケデリックな照明は、半導体制御整流器(サイリスタ)の開発によって実現したものである。ランカスターが最初に発表した記事は、『エレクトロニクスワールド』1963年4月号に掲載された"Solid-State 3-Channel Color Organ"だった。彼はこの記事で150ドルの報酬を得た。 『ポピュラーエレクトロニクス』に掲載される電子工作プロジェクトは、1960年代初頭に真空管からトランジスタなどのソリッドステートへと変化した。真空管回路はソケット付きの金属シャーシを使用し、トランジスタ回路はプリント基板上で動作させるのがベストだった。これらの回路には、地方の電子部品店では入手しづらい部品が含まれていることが多かった。 メイヤーは、『ポピュラーエレクトロニクス』誌の読者向けの回路基板や部品の販売にビジネスチャンスを見出した。1964年1月、彼はサウスウエスト・リサーチ・インスティテュートを退職し、電子工作キットの会社、ダニエル・E・メイヤー・カンパニー(DEMCO)を設立した。彼はその後も記事の執筆を続け、テキサス州サンアントニオの自宅のガレージでキットの通信販売のビジネスを運営していた。1965年までには、彼はルー・ガーナーなどの他の執筆者が設計したキットも取り扱うようになった。1967年にはランカスターの"IC-67 Metal Locator"のキットを販売した。1967年初頭、彼は会社を自宅からサンアントニオの約1万2千平方メートルの敷地に建てた新しい建物に移転した。その年の秋に、社名をDEMCOからサウスウェスト・テクニカル・プロダクツ・コーポレーション(SWTPC)に変更した。 1967年の『ポピュラーエレクトロニクス』誌にはダン・メイヤーの記事が6本、ドン・ランカスターの記事が4本掲載されていた。その年の表紙記事のうち7つはSWTPC社が販売したキットが取り上げられていた。1966年から1971年の間にSWTPC社の執筆者は64本の記事を書き、ポピュラーエレクトロニクス誌で25回表紙を飾った(ドン・ランカスターだけで23本の記事を書き、表紙に10回掲載された)。『サンアントニオ・エクスプレス・ニュース(英語版)』紙は1972年11月にSWTPC社の特集記事を掲載した。それには、「メイヤーはゼロから通販ビジネスを始め、6年間で100万ドル以上の売り上げを記録するまでになった」とある。同社はかつては、1,700平方メートルの建物から1日に100個のキットを出荷していた。 他の執筆者もSWTPC社の成功に気づいていた。MITS社の共同創設者であるフォレスト・ミムズは『クリエイティブ・コンピューティング(英語版)』誌のインタビューで、『ポピュラーエレクトロニクス』1970年11月号の表紙に掲載された自身の発光ダイオードについての記事について、次のように語っている。 3月、私はポピュラーエレクトロニクス誌に、発光ダイオードに関する特集記事を初めて売り込みました。ある日の真夜中のミーティングで、私はサウスウエスト・テクニカル・プロダクツを真似て、ポピュラーエレクトロニクス誌のためにプロジェクトの記事を執筆してはどうかと提案しました。この記事は、プロジェクトのキット版の広告を無料で提供してくれるだろうし、その雑誌は、その記事を印刷するために私たちにお金を払ってくれるだろうと思ったのです! 1970年11月号には、フォレスト・ミムズとエド・ロバーツによる"Assemble an LED Communicator - The Opticon"(LED通信機「オプティコン」の組み立て)という記事が掲載されている。部品のキットは、ニューメキシコ州アルバカーキのMITS社に注文することができた。ポピュラーエレクトロニクス誌は、この記事の原稿料として400ドルを支払った。
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