国民革命軍十九路軍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 国民革命軍十九路軍の意味・解説 

国民革命軍十九路軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 03:10 UTC 版)

福建事変」の記事における「国民革命軍十九路軍」の解説

福建人民政府中華共和国)を成立させた国民革命軍十九路軍の前身広東第一師団である。1926年広東第一師団国民革命第四軍改編され、李済深がその軍長任命された。第四軍蒋介石主導する北伐において大きな戦果上げ陳銘枢師団長任じられていた第十師は格上げされ第十一軍改編された。 1930年中原大戦においても第十一軍蒋介石配下として参加し北方馮玉祥および閻錫山の軍を撃破したその後第十一軍十九路軍に改編され、蒋光鼐総指揮蔡廷鍇軍長とする体制確立された。十九路軍はその後第3次囲剿紅軍作戦参加している。 1931年満州事変勃発する十九路軍は上海防衛任務とされた。この時期南京国民党政府では対日方針めぐって内部対立続いており、蒋介石下野すると政府広東系による運営始まった1932年第一次上海事変では、抗日意欲の強い十九路軍は日本軍積極的に戦った。しかし、日本軍との衝突避けたい蒋介石は、十九路軍を上海から福建省移駐させ、紅軍討伐命じた。なお、国際都市である上海における戦闘国際社会において中国同情論を惹起している。その後軍事的指導者不在南京政府は再び蒋介石軍事指導者にあおぎ、南京政府日本軍との衝突外交交渉結果塘沽停戦協定によって一応の解決をみた。 上海離れた十九路軍は福建地区での共産党勢力討伐作戦従事した当初順調に進捗したこの作戦も、十九路軍が彭徳懐軍との戦闘敗北したのちは膠着状態続いた蔡廷鍇等は共産党との和解交渉によって停戦踏み切った。この時期ヨーロッパ視察終えた陳銘枢帰国し1933年6月広東李宗仁陳済棠らと連絡取り南方に「人民政府」を成立させて南京国民政府対抗する提案を行うが、両者はこれに賛同しなかった。しかし蒋介石がこの情報察知し反乱への対処急いだ1933年10月26日中華ソビエト共和国臨時中央政府中国工農紅軍紅軍)の全権代表と福建省政府十九路軍の全権代表とのあいだに「反日反蒋の軍事同盟実現準備するため」の「反日反蒋の初歩協定」なる密約がなされ、紅軍十九路軍のあいだの戦闘停止したこうしたなか、11月には蔡廷鍇十九路軍を基盤とする福建国民党指導者陳銘枢ら)は一大反蒋示威踏み切ったのである

※この「国民革命軍十九路軍」の解説は、「福建事変」の解説の一部です。
「国民革命軍十九路軍」を含む「福建事変」の記事については、「福建事変」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「国民革命軍十九路軍」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「国民革命軍十九路軍」の関連用語

国民革命軍十九路軍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



国民革命軍十九路軍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの福建事変 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS