国民革命軍十九路軍
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福建人民政府(中華共和国)を成立させた国民革命軍十九路軍の前身は広東軍第一師団である。1926年、広東軍第一師団は国民革命第四軍に改編され、李済深がその軍長に任命された。第四軍は蒋介石の主導する北伐において大きな戦果を上げ、陳銘枢が師団長に任じられていた第十師は格上げされて第十一軍に改編された。 1930年の中原大戦においても第十一軍が蒋介石配下として参加し、北方の馮玉祥および閻錫山の軍を撃破した。その後第十一軍は十九路軍に改編され、蒋光鼐を総指揮、蔡廷鍇を軍長とする体制が確立された。十九路軍はその後第3次囲剿紅軍の作戦に参加している。 1931年に満州事変が勃発すると十九路軍は上海防衛を任務とされた。この時期、南京国民党政府では対日方針をめぐって内部対立が続いており、蒋介石が下野すると政府は広東系による運営が始まった。1932年の第一次上海事変では、抗日意欲の強い十九路軍は日本軍と積極的に戦った。しかし、日本軍との衝突を避けたい蒋介石は、十九路軍を上海から福建省に移駐させ、紅軍討伐を命じた。なお、国際都市である上海における戦闘は国際社会において中国同情論を惹起している。その後、軍事的指導者不在の南京政府は再び蒋介石を軍事指導者にあおぎ、南京政府と日本軍との衝突は外交交渉の結果、塘沽停戦協定によって一応の解決をみた。 上海を離れた十九路軍は福建地区での共産党勢力討伐作戦に従事した。当初は順調に進捗したこの作戦も、十九路軍が彭徳懐軍との戦闘に敗北したのちは膠着状態が続いた。蔡廷鍇等は共産党との和解交渉によって停戦に踏み切った。この時期、ヨーロッパ視察を終えた陳銘枢が帰国し、1933年6月に広東の李宗仁・陳済棠らと連絡を取り、南方に「人民政府」を成立させて南京国民政府に対抗する提案を行うが、両者はこれに賛同しなかった。しかし蒋介石がこの情報を察知し、反乱への対処を急いだ。 1933年10月26日、中華ソビエト共和国臨時中央政府・中国工農紅軍(紅軍)の全権代表と福建省政府・十九路軍の全権代表とのあいだに「反日反蒋の軍事同盟の実現を準備するため」の「反日反蒋の初歩協定」なる密約がなされ、紅軍と十九路軍のあいだの戦闘は停止した。 こうしたなか、11月には蔡廷鍇の十九路軍を基盤とする福建の国民党指導者(陳銘枢ら)は一大反蒋示威に踏み切ったのである。
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