国民革命軍の軍服とは? わかりやすく解説

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国民革命軍の軍服(1924~1945)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 01:07 UTC 版)

軍服 (中華民国)」の記事における「国民革命軍の軍服(19241945)」の解説

1924年黄埔軍官学校開校に伴い制服として中山服採用された。この学校自体護法軍に変わり新たな軍隊再編するためのものだったため、必然的にこの制服が国民革命軍の軍服へと発展していった。 もっとも、全国中華民国軍一律服制用いられていたわけではなく各地部隊軍閥)によって軍服形状の差異は残っていた(例えば、東北軍29軍などで使用され防寒帽など)。 国民革命軍ソ連赤軍手本としていたため、軍服当初どちらかといえばソ連影響受けていた。 色は北洋陸軍継承して青灰色軍服導入されたが、のちにカーキ改められた。 階級章当初左袖配されていたが、北伐後の1929年改正により襟に移動した階級三角星で表す(ソ連軍下士官と同じ)、下地兵科色によって分けることで兵科章と階級章一体化させるなど、全体的に援助受けたソ連軍影響が強い意匠となっている。これらのものは下士官兵パレードなどの際を除いて普段着用すことはなく、代わりに左胸の符号右腕上腕部の師団章で所属示した符号では所属部隊および役職のほか、左側階級章と同じ三角星を描く事で階級識別できるようになっており、さらに士官用の部隊章外枠の色が塗り分けられていた。青は尉官黄色は校官(佐官に相当)、赤は将官である。

※この「国民革命軍の軍服(1924~1945)」の解説は、「軍服 (中華民国)」の解説の一部です。
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