国民革命軍の軍服(1924~1945)
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1924年、黄埔軍官学校の開校に伴い、制服として中山服が採用された。この学校自体、護法軍に変わり新たな軍隊を再編するためのものだったため、必然的にこの制服が国民革命軍の軍服へと発展していった。 もっとも、全国の中華民国軍で一律の服制が用いられていたわけではなく、各地の部隊(軍閥)によって軍服の形状の差異は残っていた(例えば、東北軍第29軍などで使用された防寒帽など)。 国民革命軍はソ連赤軍を手本としていたため、軍服も当初はどちらかといえばソ連の影響を受けていた。 色は北洋陸軍を継承して青灰色の軍服が導入されたが、のちにカーキに改められた。 階級章は当初左袖に配されていたが、北伐後の1929年の改正により襟に移動した。階級を三角星で表す(ソ連軍の下士官と同じ)、下地を兵科色によって分けることで兵科章と階級章を一体化させるなど、全体的に援助を受けたソ連軍の影響が強い意匠となっている。これらのものは下士官兵はパレードなどの際を除いて普段着用することはなく、代わりに左胸の符号と右腕上腕部の師団章で所属を示した。符号では所属部隊および役職のほか、左側に階級章と同じ三角星を描く事で階級が識別できるようになっており、さらに士官用の部隊章は外枠の色が塗り分けられていた。青は尉官、黄色は校官(佐官に相当)、赤は将官である。
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