国民革命軍のエリート
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薬物商人の家庭に生まれる。1912年(民国元年)、湖州呉興中学で学ぶ。卒業後は、教員となった。1924年(民国13年)春、黄埔軍官学校に第1期生として入学する。卒業後は国民革命軍に編入され、東征(陳炯明討伐)や劉震寰・楊希閔討伐に従軍した。 北伐開始後の1926年(民国15年)8月、国民革命軍第2団団長に昇進し、江西省や杭州で孫伝芳率いる直隷派の軍勢を破る軍功をあげている。翌年5月、第1師副師長兼第2団団長に昇進した。さらに北伐で軍功をあげ、同年11月、第1軍第22師師長となる。翌年8月、軍縮に伴い、第1師第2旅旅長に移った。 蔣介石と反蔣介石派との内戦でも胡宗南は蔣配下として勇戦する。中原大戦でも軍功をあげて、1930年(民国19年)11月に第1軍第1師師長に事実上任命された(正式には翌年冬に就任)。その後、長征中の中国共産党(紅軍)討伐のため、胡宗南は陝西省南部でこれを迎撃したが、大損害を被って突破を許してしまう。 1935年(民国24年)11月、中国国民党第5期中央監察委員に選出され、翌年9月には第1軍軍長兼第1師師長に昇格した。日中戦争(抗日戦争)が勃発すると上海に向かい、日本軍迎撃(第二次上海事変)に参加している。その後まもなく第17軍団軍団長に昇進した。
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