国民革命軍への帰順
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1927年(民国16年)6月、馮玉祥率いる国民革命軍第2集団軍(旧国民軍)が河南入りすると、秦徳純は後ろ盾を失ったため、馮に降伏してその配下となった。これにより、秦は第2集団軍第2方面軍副総指揮兼第23軍軍長に任命された。まもなく第14軍軍長兼第2集団軍総司令部副参謀長に昇進している。1928年(民国17年)6月、馮玉祥配下の石敬亭、孫良誠が相次いで山東省政府主席に就任すると、秦はこの2人の下で省政府委員をつとめた。 北伐完了後の馮玉祥による反蒋介石戦争では、秦徳純は国民軍副総参謀長、第2方面軍参謀長などを歴任した。反蒋介石戦争敗北後は、宋哲元とともに張学良に降伏し、第29軍軍長となった宋の下で総参議をつとめた。民国21年(1932年)秋、宋が察哈爾省政府主席に就任すると、秦は省政府民政庁長兼委員を務めた。民国22年(1933年)春、張が下野すると、蒋の腹心である何応欽らが主管する軍事委員会北平分会が設置され、秦はその委員に任命された。
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