国民革命軍の「囲剿」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 06:56 UTC 版)
国民政府は1930年代、「中華ソビエト共和国」と称する支配地域を各地に築いていた共産党に対し攻勢を強め、「囲剿(=悪者を囲み滅ぼすの意)」と称する包囲殲滅戦を各地で展開した。「囲剿」戦は一般的には、第一次から第五次まで区分されることが多い。但し、各次ごとの時期区分については、研究により相違がある 。当時共産党の最大勢力圏は江西省瑞金を中心にした山岳地帯根拠地であった。民族資本や外国資本の集まる大都市や半植民地化された沿岸部からは遠く離れた地域であったため、中華ソビエト地区を発展させるには農業の発展が不可避であり、半農半兵という状態であった。 当時の共産党正規軍は中国工農紅軍紅一方面軍(中央紅軍)と呼ばれており、瑞金政府管理下の正規軍は約10万、民兵を含めても15万に満たない兵力であったという。
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