四日市市松原町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:52 UTC 版)
「松原地区 (四日市市)」の記事における「四日市市松原町」の解説
2011年(平成23年)の四日市市が集計した人口統計では世帯数が461軒、総数が1147人(男性567人、女性580人)である。富洲原地区には3地区(富田一色地区・天ヶ須賀地区・松原地区)があり松原地区の地名である「松原」が由来で、松原の本村地域が四日市市松原町となった。松原の石取祭では、松原第1組(本松町自治会・東松武町自治会・西松武町自治会・東八風町自治会・西八風町自治会)、松原第2組(新栄町自治会・錦町自治会・サニーハイツマンション自治会・松ヶ枝町自治会)で構成されている。 北側の平町との境界は三重県道26号四日市多度線であり、東側の富州原町との境界は国道1号であり、南側の富田地区との境界は東海旅客鉄道関西本線の線路で、西側の西富田町との境界は農業用水である小川である。近鉄名古屋線の西側が西松武町自治会・西八風町自治会の南部。東側が東松武町自治会・東八風町自治会の南部・本松町自治会・松ヶ枝町自治会の西部・新栄町自治会の大部分・錦町自治会の西部・東洋紡績富田工場社宅の旧宮町自治会跡地のサニーハイツマンション自治会で構成されている。 聖武天皇と万葉集ゆかりの史跡で天皇関係の宗教施設として珍しい聖武天皇を祀る聖武天皇社がある。これは松原地区にある旧家の田村家が明治時代まで氏子として守ってきた神社である。富田一色からの分家として伊藤家・生川家・樋口家・鈴木家の男子が移住して松原地区民となったケースや、川越町から松原地区に移住をしてきたなど近隣の富田一色地区出身や川越町出身の住民もいるが、富田一色・天ヶ須賀地区と比較して商店街・住宅地に住むために昭和時代以降に松原地区民となった新規住民が多い。 毎年7月に正式名が聖武天皇社大祭である松原の石取祭が聖武天皇社と四日市市立松原公園を中心に開催されている。松原公園と松原地区の氏子大社である聖武天皇社は四日市市松原町に立地していて、三重郡富洲原町時代は東洋紡績社宅で構成された松原宮町自治会に所属していた。南側には松原野球場がある四日市市立の松原公園が、東側の国道1号沿いには四日市北警察署と四日市松原郵便局が隣接しており、北側には東洋紡績の宮町社宅が立地していたが、平成時代になり社宅跡地に創価学会の四日市北文化会館と飲食店などが立地している。位牌堂には富洲原地区の戦没者の位牌が333柱建立されている。
※この「四日市市松原町」の解説は、「松原地区 (四日市市)」の解説の一部です。
「四日市市松原町」を含む「松原地区 (四日市市)」の記事については、「松原地区 (四日市市)」の概要を参照ください。
- 四日市市松原町のページへのリンク