四日市市富州原町
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「松原地区 (四日市市)」の記事における「四日市市富州原町」の解説
現在の住所制度の四日市市富州原町は、昭和41年度に九鬼喜久男四日市市長の方針で創設された商業地区であり、大字松原(宮町・西元町・東洋町・緑町・千歳町・茶の水町・錦町東部)と大字富田一色の一部(甚五兵衛町)と大字東富田(松ヶ枝町)の一部から編成された。地区名の富洲原と区別して、洲から州と改称した。 2011年(平成23年)の四日市市が集計した人口統計では世帯数が268軒、総数が662人(男性304人、女性358人)である。三重郡富洲原町と四日市市富洲原地区の「富洲原」の地名が由来で、富洲原の洲が州と変換して四日市市富州原町となった。 西元町商店街に百五銀行富田支店が立地していて、かつては東海銀行(UFJ銀行富田支店→現在の三菱UFJ銀行)富田支店が立地していた。緑町通りの中心部に過去に八千代座劇場(その後映画館となり、パラダイス劇場となり、スーパーオカダヤ富洲原店となり、ミスターベンリを経て2021年現在は新興住宅地)が立地していた。緑町はみどり町に住んでいた個人が緑町自治会に寄贈した事によって、一王稲荷神社が創建された。 緑町北部の国道1号付近には施設の変遷順では、三重銀行富洲原支店からパラダイスコープ(平田耕一衆議院議員がオーナー)となり、その後中華食堂(平田耕一がオーナー)となり、その跡地が平田耕一の選挙事務所となり、2021年現在は平田耕一が土地を売却して餃子の王将富洲原店となった。緑町北部の国道1号沿いの場所には商業施設と障害者施設が立地している。西側の境界は国道1号である。東側の境界は三重県道401号桑名四日市線である。 東洋紡績富田工場(旧宮町自治会)跡地にはイオンモール四日市北(新栄町自治会)が立地する。富田一色地区の甚五兵衛町自治会も富州原町で、四日市市立富洲原小学校・四日市市立富洲原幼稚園・四日市市立富洲原保育園・四日市北部児童館・富洲原地区市民センター(天ヵ須賀地区の富洲園団地の所属)がある。 松原の石取祭では、西元町自治会は(西元町商店街であり西元町祭車)を単独保有している。東洋町自治会は(東洋町商店街であり東洋町祭車)を単独保有している。緑町自治会(松原3組に所属。一王稲荷神社を保有している)かつてはみどり町祭車を単独保有していた。茶の水町自治会は(西元町の祭車)に加盟している。千歳町(千才町自治会ともいう。松原第2組の松二祭車)に所属している。 錦町自治会(松原第2組の松二祭車に所属している)の国道1号の東部で構成される。東西に三重県道505号四日市港松原線が貫通して南北に区分される。かつては、東洋紡績株式会社保有の富田工場社宅で構成された松原宮町自治会が存在していた。東洋紡績富田工場の社員の施設として、四日市市富州原町内の元町社宅・四日市市富州原町内の富田工場の敷地にあった社宅・松原町内の社宅に住民が多数居住していて、松原宮町自治会が構成されていた。東洋紡績株式会社が祭車を購入して、富田工場の社宅に住む社員によって宮町自治会が組織され、東洋紡績関係者と社員によって祭事が行われていた。東洋紡績富田工場の宮町社宅が東洋紡績社員の減少による富田工場内の社宅の縮小や、社宅の売却が行われた事によって宮町自治会が消滅し、宮町が保有する祭車が廃止された。2021年現在は旧東洋紡績宮町自治会は廃止されている。
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