和光院過去帳とは? わかりやすく解説

和光院過去帳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:46 UTC 版)

南方三十三館」の記事における「和光院過去帳」の解説

群書類従』第645-647「常陸国田島村伝燈山和光院過去帳」には、「天正十九辛卯二月九日佐竹太田生害ノ衆、鹿島殿父子カミ島崎殿父子玉造殿父子中居殿、釜田殿兄弟アウカ殿、小高殿父子手賀殿兄弟武田殿、已上十六人(以上十六人)」とあり、義重・義父子殺害された9氏16人の名がある。 鹿島殿父子カミ鹿島」は、鹿島郡鹿島城鹿島清秀その子某。近世系図所伝では父の治時(天正4年1576年)2月没)の名が見え、また現在の常陸大宮市山方五輪塔纏わる所伝では「清房」の名が伝わるが、一次史料から清秀であることは間違いない鹿島氏は、吉田清幹の子鹿島成幹三男である鹿島政幹を祖とする。常陸平氏鹿島流。 鹿島清秀は、鹿島時の三男といわれ、又六郎を称したカミは、清秀の室を指すものと思われる清秀の室は謀殺されたのではなく鹿島城側が清秀の室を大将として頑強に抵抗したという。佐竹氏はその抵抗大きさ戦術変更し大砲据えて鹿島城城壁破壊した上で攻撃仕掛け、これを落城させたと言われる落城により清秀の室は自害したが、この徹底抗戦姿勢が「和光院過去帳」に「カミ」として名を載せる結果となった考えられる島崎嶋崎)殿父子嶋崎」は、行方郡島崎城島崎安定と子徳一丸。安定所伝によって別名が伝わる(安重、幹儀など)が、一次史料では安定のみ確認できる嶋崎氏は、吉田清幹の次男行方忠幹(行方平四郎の子景幹(一説宗幹)と嫡男為幹が屋島の戦い従軍し、景幹は討死し、景幹の所領その四子に分与され、長男為幹は行方氏の惣領継ぎ、後に小高移住して小高氏となり、次男高幹島崎分封されて島崎氏となり、三男家幹は麻生分封されて麻生氏称し、四男幹政は玉造分封されて玉造となった。この4家は、行方地方勢力持った行方一族中心的地位占め、「行方四頭」と称された。常陸平氏行方流。 玉造殿父子玉造」は、行方郡玉造城玉造重幹とその子某。常陸平氏行方流。 中居殿「中居」は、鹿島郡中居城の中居秀幹。 中居氏は、鹿島政幹三男である時幹がこの地に拠り中居氏を称するようになったという。常陸平氏鹿島流。 釜田烟田)殿兄弟釜田烟田)」は、鹿島郡烟田城の烟田通幹と弟某(所伝上は五郎)である。 烟田氏は、鹿島氏の祖、鹿島成幹長男が親幹が徳宿氏を称しその子秀幹の長男・俊幹は安房鉾田含めた地域譲渡され安房氏の祖ともなり、また次男朝秀は、烟田他三カ譲渡され烟田となったという。常陸平氏鹿島流。 アウカ相賀(おうが))殿「アウカ」は、行方郡相賀城の相賀とみられるが、同氏については手賀氏の流れとも、清和源氏流れともいわれ、不明な点が多い。行方市根小屋前島所蔵史料によれば戦国末期当主を「手賀左近尉源之義元」と清和源氏出自とし、相賀入道名乗ったとする。一方で同氏出自常陸平氏行方手賀氏とし、また実名を詮秀とする所伝もある。また前述史料によれば、「義元」は佐竹氏襲撃逃れ妻の実家真壁氏の下に潜伏して文禄4年1595年)に病死したという。また次男三郎四郎佐竹氏襲撃時に自害したとされており、「和光院過去帳」の「アウカ」は彼であろうか。 小高(おだか)殿父子小高」は、行方郡小高城行方(小高)治部少輔と子某。治部少輔常陸介小高義秀)の子とみられる小高氏は、常陸平氏行方流。嶋崎氏の項を参照手賀殿兄弟手賀」は、行方郡手賀城の手賀氏兄弟刑部大輔民部大輔系図上では、景国、高幹の名が見える)。 手賀氏は、常陸大掾氏分流玉造初代幹政の次子正家手賀氏と称したことに始まる。常陸平氏行方流。 武田殿「武田」は、行方郡木崎城の武田七郎五郎系図上で淡路守とも、実名信房と伝わる)とみられる。この武田氏については、現在確認できる系図によれば上杉禅秀の乱没落した甲斐国守護武田信満の弟信久が行方郡に入部したとされるが、既に南北朝期にこの地域活動していた武田氏存在確認され、この系統末裔であった可能性考えられる武田氏#常陸武田氏常陸武田氏(2)の項を参照

※この「和光院過去帳」の解説は、「南方三十三館」の解説の一部です。
「和光院過去帳」を含む「南方三十三館」の記事については、「南方三十三館」の概要を参照ください。

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