司法権の限界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:12 UTC 版)
「具体的な争訟」にあたる事件であっても、憲法76条1項に規定する裁判所が審査できない事項がある。これを司法権の限界という。司法権の限界には、憲法が明文で定めた限界や国際法上認められた限界、憲法の解釈による限界がある。 憲法の明文に定めた限界による裁判に不服があっても、更に通常の裁判所に訴えることはできないと解されている。 憲法が明文で定めた限界議員の資格争訟の裁判(55条):議員が所属する議院の権限 裁判官の弾劾裁判(64条):国会議員で構成される裁判官弾劾裁判所の権限 国際法によって認められた限界国際法上の治外法権(外交官、外交施設の治外法権など) 条約による裁判権の制限(日米安全保障条約に基づく行政協定による特例など) 憲法の解釈上の限界自律権に属する行為:議院における議事手続や議決の定足数など各議院内部事項に関する事項は、各議院の自律権に委ねられ、司法審査の対象とはならないと解されている。警察法改正無効事件(最大判昭和37年3月7日民集16巻3号445頁) 政治部門の自由裁量に属する行為:国会や内閣などの政治部門の自由裁量に委ねられている事項については、妥当性が問題になるのみであり、裁量権を著しく逸脱した場合でない限り、司法審査の対象にはならないと解されている。 統治行為:国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為について、その高度の政治性ゆえに司法審査の対象にはならないとする考え方がある。→詳細は統治行為論の項目を参照。苫米地事件(最大判昭和35年6月8日民集14巻7号1206頁) 団体の内部事項に関する行為(部分社会の法理):自律的な内部規範を有する団体内部の紛争については、その内部規律の問題にとどまっている限りは団体自治を尊重すべきであり、司法審査が及ばないという考え方がある。一般的に部分社会の法理と呼ばれるが、各団体には様々な性質のものがあるため、一括して「法理」として説明することには疑問も呈されている(ただし、司法審査が及ばない場合もあることを否定する趣旨ではない)。 なお、天皇は、日本国の象徴であることにかんがみ、民事裁判権が及ばないとされる。天皇を被告、あるいは原告として訴訟を提起することはできない。訴訟の提起がなされた場合、当然に却下判決がなされることとなる。
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