右太衛門と「旗本退屈男」とは? わかりやすく解説

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右太衛門と「旗本退屈男」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 13:36 UTC 版)

市川右太衛門」の記事における「右太衛門と「旗本退屈男」」の解説

右太衛門代表的キャラクターである早乙女主水之介活躍する旗本退屈男シリーズは、1930年の『旗本退屈男』を皮切りに戦後まで通算30製作された。日本映画で同じ俳優が同じ役を33年主演した例は他にない。 右太衛門によると、右太プロ設立し、「映画というものは、結局は大衆娯楽である」というふうに考えまとまって来た頃、佐々木味津三の『旗本退屈男』を読んだところ、「これは面白いと思ったですよ」と、思わず膝を打ったという。早速、これを映画化した右太衛門は、この天衣無縫主人公について次のように語っている。 「これだけ言いたいことを言って大暴れして、強くって、しかも弱い者は助け哀れな者は救い上げる相手大名であろうと、なんであろうと、言うべきことは言いますからね。これはいつの時代にも通用する主人公ですよ」 「早乙女主水之介」の必殺技「諸羽流青眼くずし」は、右太衛門本人考案したのである様々な角度から見てもらえる舞台違って映画の場合アングル限られクローズ・アップになったときに刀が写ってなくてはしようがないこのため左手前に構えるという、独特の構え考えたのだという。大歌舞伎の大名代の芝居をたくさん見てきた、舞台出身の右太衛門ならではの強みだった。右太衛門トーキーでの発声についても、次のように語っている。 「トーキーになったときですか。このとおり私は声が大きいですから、そりゃもう、待ってました! って感じでしたね。セリフ言いたくて言いたくて、しようがなかったんですから」 退屈男の主人公、「早乙女主水之介」は額の三日月傷、派手派手の衣装が有名で、ことに衣装作る毎にエスカレートしていった。 「私の芝居そのものが派手でしょう。だから地味な衣装だと寂しく見えてしまうんですね。それに戦後奢侈禁止令解けてその時分、デパート展示会なんてそりゃあ派手なものが並びました。それでデザイナー絵描きさん美人画甲斐荘さんというのですが、この方にも見に行ってもらいまして、ああいう衣装ができたわけです。派手さ狙ったのは戦後の作品からですが、これはホント良かった思いますよ」 一本映画衣装12、3着用意され、これらは東映映画村保存されている。全て新品誂え、同じものを着たことは一度もない。主人公一人衣装代が全衣装代の8割を占めていたという。

※この「右太衛門と「旗本退屈男」」の解説は、「市川右太衛門」の解説の一部です。
「右太衛門と「旗本退屈男」」を含む「市川右太衛門」の記事については、「市川右太衛門」の概要を参照ください。

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