右太衛門と「旗本退屈男」
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「市川右太衛門」の記事における「右太衛門と「旗本退屈男」」の解説
右太衛門の代表的キャラクターである早乙女主水之介が活躍する『旗本退屈男』シリーズは、1930年の『旗本退屈男』を皮切りに戦後まで通算30本製作された。日本映画で同じ俳優が同じ役を33年間主演した例は他にない。 右太衛門によると、右太プロを設立し、「映画というものは、結局は大衆娯楽である」というふうに考えがまとまって来た頃、佐々木味津三の『旗本退屈男』を読んだところ、「これは面白いと思ったですよ」と、思わず膝を打ったという。早速、これを映画化した右太衛門は、この天衣無縫の主人公について、次のように語っている。 「これだけ言いたいことを言って、大暴れして、強くって、しかも弱い者は助け、哀れな者は救い上げる。相手が大名であろうと、なんであろうと、言うべきことは言いますからね。これはいつの時代にも通用する主人公ですよ」 「早乙女主水之介」の必殺技「諸羽流青眼くずし」は、右太衛門本人の考案したものである。様々な角度から見てもらえる舞台と違って、映画の場合はアングルが限られ、クローズ・アップになったときに刀が写っていなくてはしようがない。このため、左手前に構えるという、独特の構えを考えたのだという。大歌舞伎の大名代の芝居をたくさん見てきた、舞台出身の右太衛門ならではの強みだった。右太衛門はトーキーでの発声についても、次のように語っている。 「トーキーになったときですか。このとおり私は声が大きいですから、そりゃもう、待ってました! って感じでしたね。セリフを言いたくて言いたくて、しようがなかったんですから」 退屈男の主人公、「早乙女主水之介」は額の三日月傷、派手派手の衣装が有名で、ことに衣装は作る毎にエスカレートしていった。 「私の芝居そのものが派手でしょう。だから地味な衣装だと寂しく見えてしまうんですね。それに戦後は奢侈禁止令が解けてその時分、デパートの展示会なんてそりゃあ派手なものが並びました。それでデザイナーの絵描きさん、美人画の甲斐荘さんというのですが、この方にも見に行ってもらいまして、ああいう衣装ができたわけです。派手さを狙ったのは戦後の作品からですが、これはホントに良かったと思いますよ」 一本の映画で衣装が12、3着用意され、これらは東映映画村に保存されている。全て新品を誂え、同じものを着たことは一度もない。主人公一人の衣装代が全衣装代の8割を占めていたという。
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