史料に見る道三の来歴とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 史料に見る道三の来歴の意味・解説 

史料に見る道三の来歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:12 UTC 版)

斎藤道三」の記事における「史料に見る道三の来歴」の解説

北条早雲らと並ぶ下克上大名典型であり、名もない境遇から僧侶油商人経てついに戦国大名国盗り)にまで成り上がった斎藤道三人物像は、江戸寛永年間成立と見られる史書美濃国諸旧記』などにより形成され坂口安吾海音寺潮五郎司馬遼太郎らの歴史小説有名になっていた。しかし、1965年 - 1973年発行された『岐阜県史』編纂過程大きく人物像転換した編纂において永禄3年1560年7月付けの「六角承禎書写」が発見された。この文書近江守護六角義賢(承禎)が家臣である平井氏蒲生氏らに宛てたもので、前欠であるが次の内容を持つ。 斎藤治部(義龍祖父新左衛門尉は、京都妙覚寺僧侶であった新左衛門尉は西村名乗り美濃来て長井二郎仕えた新左衛門尉は次第頭角現し長井名字称するようになった義龍父の左近大夫(道三)の代になると、惣領討ち殺し諸職奪い取って斎藤名字名乗った。 道三と義龍義絶し、義龍は父の首を取った同文書の発見により、1973年4月の「斎藤道三展」の説明書で、船戸政一と清水進が、道三親二代説を発表し翌年には松田亮が『斎藤道三文書研究』を著して、道三の父新左衛門尉が長井豊後守利隆であるとした。従来、道三一代のものと見られていた美濃の国盗りは道三一代のものではなく、その父の長井新左衛門尉(別名:法蓮房・松波庄五郎松波庄九郎西村勘九郎正利)との父子2代にわたるものであることが明らかとなった。また父の新左衛門と見られる名が古文書からも検出されており、大永6年1526年6月付け東大寺定使下向注文」(『筒井寛聖氏所蔵文書所収)および大永8年2月19日付「幕府奉行人奉書案」(『秋田藩採集古文書所収)に「長井新左衛門尉」の名が見えている一方、道三の史料上の初出天文2年1533年6月付け文書に見える「藤原規秀」であり、同年11月26日付の長井弘・長井規秀連署状にもその名が見えるが、真偽の程不詳である。

※この「史料に見る道三の来歴」の解説は、「斎藤道三」の解説の一部です。
「史料に見る道三の来歴」を含む「斎藤道三」の記事については、「斎藤道三」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「史料に見る道三の来歴」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から史料に見る道三の来歴を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から史料に見る道三の来歴を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から史料に見る道三の来歴 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「史料に見る道三の来歴」の関連用語

史料に見る道三の来歴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



史料に見る道三の来歴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの斎藤道三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS