古代・ヨーロッパ人到達以前とは? わかりやすく解説

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古代・ヨーロッパ人到達以前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 03:50 UTC 版)

マダガスカルの歴史」の記事における「古代・ヨーロッパ人到達以前」の解説

マダガスカル最初の住人は、アウトリガーカヌー存在言語学研究から、東南アジア島嶼とうしょ)部から渡ってきたことは確実視されていたが、2005年発表されたマシュー・ハールスによるDNA研究により、1世紀前後ボルネオ島から航海カヌーインド洋横断してマダガスカル移り住んだことがほぼ確実視されるようになったその後アフリカ大陸東部から渡ってきた人々ボルネオ系(マレー・ポリネシア系)の人々混血しヨーロッパ人到達以前にそのDNA上の比率半々になっていたと考えられる。 なお、ボルネオ系のDNAボルネオマダガスカル島の間のインド洋沿岸では見つかっていないため、ボルネオ人々直接マダガスカル島まで航海した可能性が強い。この2つの島の間は4,500海里(8,300km)も離れているが、赤道無風帯通過する必要がない上、常に貿易風追い風となる航海であるため、当時東南アジア島嶼部海民技術レベルならば充分に現実的な航海である。ボルネオ島からジャワ海渡ってスマトラ島ジャワ島補給をすれば、さらに難易度は下がる。ジャワ島からマダガスカル島まで6,000kmとしても、平均時速5ノット帆走出来れば30日弱で到達することができる。 文献マダガスカル存在初め登場したのは、ギリシャプトレマイオスによるメヌティアスという島についての記述だといわれている。このメヌティアスがマダガスカルだというのが有力である(異論存在する)。より可能性が高いと思われる文献は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』である。『東方見聞録』では大きな島の記載があるが、マルコ・ポーロソマリアモガディシュ地方勘違いしてマダガスカル誤って紹介した。これがマダガスカル名前の由来となっている。 一方でアラブ世界ではマダガスカル古くから知られていた。アラブ地図で、マダガスカルは、Gezirat Al-Komor(月の島の意味)の名前がついていた。Komorの名前は、マダガスカル北西にあるコモロ諸島にその名が残っている。また、アラブ人は、9世紀ごろからマダガスカル進出。さらにアラブ商人達は、東アフリカから連れてきた黒人達を奴隷としてマダガスカルに連れてきた。これにより沿岸部の諸族は交易による富を築いたマダガスカル島北部には、11世紀から12世紀にかけてインド洋交易とともに東アフリカ沿岸交易栄えた港湾遺跡があり、沿岸交易輸出品として緑泥片岩製の容器生産されていたことがタンザニアキルワ遺跡からの出土品からも判明している。

※この「古代・ヨーロッパ人到達以前」の解説は、「マダガスカルの歴史」の解説の一部です。
「古代・ヨーロッパ人到達以前」を含む「マダガスカルの歴史」の記事については、「マダガスカルの歴史」の概要を参照ください。

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