古代の惑星
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 09:03 UTC 版)
惑星に関する知識は有史以前から存在し、多くの文明に共通なものであったが、planetという単語の語源は古代ギリシアに遡る。ギリシア人は、地球は宇宙の中心で静止していて、空にある天体や空自身が地球の周りを動いているという天動説を信じていた。ギリシアの天文学者は、1年間かけて天球を移動する星のような光に対して、「惑う星」という意味のasteres planetaiという言葉を与えた。一方、他に対してほとんど動かない「固定された星」のことをasteres aplanisと呼んだ。今日、惑星と呼ばれるもののうち、肉眼で見ることのできる5つ、水星、金星、火星、木星、土星はギリシアの時代から知られていた。 ギリシア・ローマ時代の宇宙観では、共通して太陽と月も惑星と数えられ、7つの惑星(=七曜)が考えられていた。しかしそこには曖昧さがあり、古代の多くの天文学者は5つの惑星を太陽と月から区別していた。 プラトンは、紀元前360年頃に書かれた『ティマイオス』の中で、「太陽と月と他の5つの星、これを惑星と呼ぶ」と書いている。彼の弟子のアリストテレスは、その著書『天界について』の中で、「太陽と月の動きは、惑星のものよりも小さい」と同様の趣旨のことを述べている。エウドクソスが紀元前350年頃に書いたPhaenomenaの中で、詩人のアラトスは「5つの惑星は12個の様々な星座と交錯し、運行する」と書いている。 クラウディオス・プトレマイオスは、2世紀に書かれた『アルマゲスト』の中で、「太陽、月と5つの惑星」と記述している。ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌスは、「5つの星のことを惑う星、ギリシア語でPlanetaと呼ぶ」と明確に述べている。アウグストゥスの時代の作家でAstronomicaを書いたマルクス・マニリウスは、「ドデカテモリーは5つの部分に分かれた」と述べている。 7つの惑星としての統一的な見解は、紀元前53年頃に書かれたマルクス・トゥッリウス・キケロの『スキピオの夢』の中で、スキピオ・アフリカヌスの魂が「そのうち7つの球体が惑星を含み、1つの惑星はそれぞれの球体である。その全てが天の動きと逆向きに動く」という記述に表れる。77年に書かれた『博物誌』の中で、ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、「その動きから、我々は7つの星を惑星と呼ぶ。他の星でこれほど彷徨うものはない」と述べている。5世紀のギリシアの詩人ノンノスは、叙事詩『ディオニューソス譚』の中で、「7つのタブレットに歴史の神託があり、そのタブレットには7つの惑星の名前が付けられている」と記述している。
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