古代の山田氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 23:37 UTC 版)
古くは渡来系氏族が称した氏(本姓)であり、『新撰姓氏録』には、右京の山田宿祢氏(やまたのすくね、周霊王の太子晋の子孫と称する)、同じく山田造(やまたのみやつこ、山田宿祢と同祖)、河内国の山田宿祢(魏の司空王昶の子孫と称する)、同じく山田連(やまたのむらじ、山田宿祢と同祖)、同じく山田造(山田宿祢と同祖)、和泉国の山田造(新羅の天佐疑利命(あまのさぎりのみこと)の子孫を称する)が記録されている。平安時代初期の能吏として知られる山田古嗣(やまたのふるつぐ)もこの山田氏に出自していると見られている。所伝を総合すると、『新撰姓氏録』左京諸蕃上の記載によれば、山田宿祢氏は周霊王太子晋の出自となっており、また河内国諸蕃の記載によれば、山田宿祢は魏司空王昶の出自だといい、未確定姓和泉国には、山田造が新羅国天佐疑利命から出ているといい、山田氏は中国、新羅と関係しており、その起源が中国で、新羅を経由して日本に移住した氏族とみられる。
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