博多電気軌道との関係とは? わかりやすく解説

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博多電気軌道との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 00:40 UTC 版)

福博電気軌道」の記事における「博多電気軌道との関係」の解説

福博電気軌道対す軌道敷特許から半年経った1909年7月嘉穂郡坂口栄らに対して福岡市その周辺における軌道敷特許下りた。翌1910年3月太田清蔵渡辺与八郎麻生太吉といった有力実業家発起人加えて博多電気軌道初代)発足同社福岡市市街地外縁循環する環状線吉塚駅への連絡線建設計画し1911年10月から順次路線建設していった。福博電車はこの博多電気軌道線と水茶屋天神町博多駅前の3か所にて線路交差することとなった。 また博多電気軌道1910年10月北筑軌道という軌道事業者合併し非電化軽便軌道線引き継いだ北筑軌道線の起点樋井川今川橋西側で、東側終点今川橋停留場)とする福博電車接続していた。このため東西2つ博多電気軌道路線の間を福博電車が繋ぐ形となっていた。 この博多電気軌道電気供給事業兼営試み福岡市その周辺町村対す供給取得していた。このため福岡市地盤とする博多電灯改め九州電灯鉄道では供給事業での競争を防ぐべく博多電気軌道の合併目指すに至る。合併交渉博多電灯軌道時代1912年2月より始められたが、九州電灯鉄道側が途中で合併条件引き下げた博多電気軌道財務状態良好でないのを懸念していたとされる)ために交渉難航し7月になって決着しなかった。こうした膠着状態見て九州水力電気博多電気軌道の合併動き出す同社1911年4月設立されたばかり電力会社で、当時筑後川水系にて大規模水力発電所建設中であった九州水力電気では博多電気軌道対し九州電灯鉄道提示するよりも有利な条件示して合併勧誘九州水力電気提案応じた博多電気軌道7月17日役員会開き九州水力電気への合併決めた19日になって麻生太吉調停により翻意同社九州電灯鉄道合併仮契約締結するが、翌日大株主会が九州水力電気との合併主張したためこの契約をすぐに撤回改め九州水力電気との合併仮契約締結した8月9日株主総会九州水力電気との合併契約承認されその後九州電灯鉄道による合併決議無効訴訟などの妨害があったものの、1911年11月4日九州水力電気博多電気軌道の合併完了したその後1913年大正2年になって九州電灯鉄道九州水力電気合併話が具体化するものの、結局条件面で折り合わず決裂両社福岡市場での供給めぐって対立続けた。従って福岡市における電車経営一元化されることはなく、旧福博電気軌道線は九州電灯鉄道、旧博多電気軌道線は九州水力電気分立した状態が長く続いた

※この「博多電気軌道との関係」の解説は、「福博電気軌道」の解説の一部です。
「博多電気軌道との関係」を含む「福博電気軌道」の記事については、「福博電気軌道」の概要を参照ください。

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