単身単発銃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 18:04 UTC 版)
「K.F.C. (散弾銃)」の記事における「単身単発銃」の解説
1966年時点 - 戦前のグリ式猟銃と上捻式猟銃に相当するモデルが引き続き販売された。ただし、戦前モデルのグリーナー式横安全装置は、左利き射手でも操作しやすい上下・水平二連と同様のブローニング式舌安全装置(タン・セイフティ)に変更された。折しも時代は戦後復興期から高度成長期へ差し掛かる時期であり、村田式猟銃が普及品、グリ式猟銃や響号が高級品とされた戦前とは国内市場の情勢は大きく変化。単身単発銃はK.F.C.をして「単身で銃に慣れてから(上下・水平)二連に移るのが良い」として、ビギナー用という位置付けがされていた。薬室は全モデル真鍮薬莢仕様で、顧客の要望により紙薬莢仕様に刳り直しが行える販売形態が採られていた。1960年代中期には英連邦圏への輸出が行われており、銃身には「K.F.C. Tokyo」の銘が刻まれていた。なお、M100とM250のモデル名は後述のシンガー日鋼製半自動式散弾銃でも重複して用いられている。K.F.C. M100 - 無鶏頭モデルの上級品で、先台が引き外し式からデイリー止めに変更されており、口径も12番、16番、20番、24番、28番、36番から選択できた。価格はM80と同一とされていた。国内仕様には射撃用上下二連と同じ手動式安全装置が備えられていたが、輸出仕様にはアメリカントラップ競技向けの安全装置がないモデルも存在した。閉鎖機構は二重止め。 K.F.C. M80 - 無鶏頭モデルの普及品。先台の固定はウィンチェスターM37(英語版)など欧米の単発単身銃で採用例が多かった引き外し式が用いられていた。口径は12番のみで、手動式安全装置、銃床はセミピストル型銃把。閉鎖機構は二重止め。 K.F.C. M33 - 有鶏頭モデル。戦前の上捻式がスティーブンスM89やウィンチェスターM20(英語版)に似た撃鉄が大きく露出した機関部だったのに対して、M33はウィンチェスターM37(英語版)のピッグテール・デザインに似た、撃鉄のスパーのみが露出した機関部に変更された。口径はM100と同じく6種類から選択できた。国内仕様は基本的にエキストラクター仕様のみであったが、輸出仕様では非自動式エジェクター付きのモデルであるK.F.C. M33Eもラインナップされていた。閉鎖機構は単一止めであったが、重量は12番で約2.7kgと、水平二連の軽量モデルに匹敵する重さがあり、銃身・薬室ともに非常に分厚く作られていた。輸出仕様では用心金(英語版)も鋳鉄製の厚く頑丈なものが用いられるという念の入り様であった。 1970年-1972年? - 全モデルで閉鎖機構が単一止めに簡略化され、更に低価格化が進んだ。しかし薬室は初めから紙薬莢専用となり、自動安全装置が全面採用されるなど猟銃としての実用性は向上しており、K.F.C.も単なる安価な初心者向けとしてだけではなく、戦前以来グリ式猟銃を用いていたベテラン猟師の買い替え需要を見込んだ広告展開を行っていた。K.F.C. M100B - M100の発展型。16番と36番が廃止され、先台の形状がビーバーテイルに近い形状となる。銃床や先台の材質には有坂銃などでも使用された桜材が用いられていた。 K.F.C. M250 - 410番の有鶏頭モデルで、事実上M33の後継モデルに当たる。最廉価モデルの為、銃床にはチェッカリングすらも施されていないが、機関部は最高級のF/FE水平二連と同じく炭素焼仕上げとされていた。
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