単身四国へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 09:46 UTC 版)
その後禁足を解かれ、政治家毛利松平の大山倍達への依頼もあって愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)に客員指導員として出向いた事がきっかけとなり、極真会館四国支部長(後に愛媛支部長)に就任。一度は総本部に呼び戻され、当初の予定通りブラジルに派遣される話もあったが、既に門下生も増えて来て破門覚悟で大山に直訴して四国に留まる事になった。1970年に八幡浜神宮前に道場を構え、1979年には国鉄(現・JR四国)松山駅前に芦原道場本部を完成させた。
※この「単身四国へ」の解説は、「芦原英幸」の解説の一部です。
「単身四国へ」を含む「芦原英幸」の記事については、「芦原英幸」の概要を参照ください。
- 単身四国へのページへのリンク