南極にて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 05:53 UTC 版)
宗谷が南極へ到着すると、2体のうち1体が上陸し、もう1体は帰国する宗谷の倉庫に残された。冬を迎え始めた南極で、総勢11名の男性(平均年齢37歳)からなる越冬隊は昭和基地での越冬準備にとりかかった。 越冬隊長の西堀栄三郎は人形の使い方について中野からレクチャーを受け、その安置場所として基地建物の裏手にイグルー(簡易的な雪小屋)を自らの手でわざわざ造った。それは、基地建物内に人形を置くと風紀が乱れかねないという西堀の配慮だった。イグルーの中で、人形はケバケバしい着物を着せられ、布団のようなものの上に横たえられた。そして傍らには、西堀が手書きした取扱説明書、ラディウス(登山用携帯コンロ)、コッヘル(登山用鍋)が置かれた。イグルーの入口にはテントの布が垂らされた。 越冬準備の屋外作業がおおむね完了したある日、西堀は朝食の席で唐突に、人形の存在を隊員らへ告げた。 「今日から冬ごもりに入るが、イグルーの中にべんてん様がおいでになります。みなさんお参りしてもろてよろしい。ただし、お参りの順序は、いつもの順序にしてもらいます。」「エッ、べんてん様だって?」「アッ、そうか。あのべんてん様か。」 皆は一瞬けげんな顔をしたが、すぐ意味を悟ってニヤリとした。 隊員らは「べんてん様」なる性具人形の存在を薄々聞いてはいたが、本当に基地まで持ち込まれたと知り、どよめいた。かくして一日につき一人ずつ、越冬隊長の西堀を皮切りに、年長者から順にイグルーのべんてん様へ「お参り」する運びとなった。 しかし、べんてん様を使用する者はついぞ現われなかった。まず何より、そのグロテスクな容姿は隊員の気持ちを萎えさせるに充分だった。またイグルーの中は零下15度と、手袋がなければ人形に触るのも憚られる寒さで性欲どころでなかった。さらにイグルーの雪壁から雪をナイフでこそぎ落としてラディウスとコッヘルで溶かし、4リットルのお湯になるまで暖めるのは何十分と時間のかかる根気作業で、事後の後始末の手間まで考えると、それだけでもう辟易してしまうのだった。そこまでするほど性的に昂じている隊員は居なかったのである。20代の若い隊員の中にはそれなりに興味津々でイグルーに入っていく者もいたが、結局べんてん様の姿を拝んだだけで、すごすご出てきてしまった。 昭和基地の緯度では極夜の期間がさほど長くないこともあってか、幸いにして精神に異常を来たす者が隊から出ることはなかった。かようにして越冬期間は終わり、基地の人形は「処女」のまま日本へ帰ることになった。一方、宗谷で一足早く帰路についたもう一体は、人目の無い倉庫で誰かがこっそり使用して後始末もしなかったため「局部が腐敗して、くさくてくさくて困ったからぶん投げた」という。 人形の発案者の中野は、後に「(使われもしない人形を作ったことは)わたくしの老婆心からの一つの失敗で、慙愧に耐えない」と回顧している。この種の人形が作られたのは、この時の越冬隊が最初で最後である。
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