医学部の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 12:51 UTC 版)
「山形大学医学部・大学院医学系研究科」の記事における「医学部の設置」の解説
戦後の高度経済成長の時代を経て、県民生活においても量的、質的拡大は図られたものの、その一方、山形県における医療問題、医師不足は深刻な状況となった。そこで、1968年、当時の一県一医大構想を背景として、山形県に山形大学医学部設立準備委員会が設置された。翌1969年には、県・県議会、市町村・同議会など行政体を中心とする「山形大学医学部設置促進期成同盟会」を結成し、文部省、厚生省に対し活発な陳情運動を行った。また、県下で強大な権力を持っていた有力者服部敬雄山形新聞社社長が旧知の仲であった田中角栄自民党幹事長に直接懇請もするなど、多方面から設置に尽力を重ね、1971年6月、評議会において山形大学医学部の設置推進が決定。翌年の山形大学医学部創設準備室設置を経て、1973年に国立学校設置法の一部を改正する法律の公布、施行により、山形大学医学部が設置された。同年11月5日に、第1回の医学部入学式が行われている。学部の規模は、基礎講座14、臨床講座16の合計30講座で、教授、助教授は各30人とされた。学生定員ははじめ80人の計画であったが100人に変更されている。 当初医学部の建設地は山形市桜田地区としていたが、蔵王飯田地区に変更し建設された。桜田の建設予定地には山形厚生年金休暇センター(現:ヒルズサンピア山形)のほか住宅地が整備されている。
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