区画整理による線路付け替え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 14:21 UTC 版)
「広島電鉄」の記事における「区画整理による線路付け替え」の解説
1949年(昭和24年)8月6日には広島平和記念都市建設法が成立。それに基づき、建設省・広島市復興局と協議を行い計画を策定。道路拡幅および軌道の道路中央部に移動することになり、当時の市内線18.4kmのうち半分強の9.4kmを移動させることになった。 線路付け替えの費用分担は、当初予定では3分の1とされたが、査定の見直しなどで1952年(昭和27年)時点で、平均約48%、最高57%の負担になった。広電側の負担減額の陳情で、その後は電車施設のみの負担になり、1954年(昭和29年)の稲荷大橋-広島駅間は22.4%の負担になっている。 道路中央部への移設のほか線路の付け替えも行われ、1956年(昭和31年)には左官町(現・本川町)周辺の線路の付け替え、1964年(昭和39年)には太田川放水路および福島川の廃川による観音町 - 己斐間の付け替えが行われた。 建設法に先がけ、広島市の事業として1947年(昭和22年)より線路付け替えを開始。広島市内にある広島電鉄の線路がある7橋(荒神橋、稲荷大橋、相生橋、広電天満橋、新己斐橋、御幸橋、横川新橋)のうち、都市計画道路上にない広電天満橋と、第二次大戦前より併用橋だった荒神橋以外の5橋は橋の架け替え、または橋の新設が必要になった。1950年(昭和25年)に稲荷大橋が、1958年(昭和33年)に横川新橋が、1964年(昭和39年)には太田川放水路の完成に合わせて新己斐橋が、1983年(昭和58年)に相生橋が、1990年(平成2年)には御幸橋が完成した。 線路の付け替えは長期にわたり、最後に行われた小網町-舟入本町間、十日市町-寺町間は1995年(平成7年)に完成。完成までに40年以上かかった。
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