北方領土問題と日露和親条約の関連
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「日露和親条約」の記事における「北方領土問題と日露和親条約の関連」の解説
「北方領土問題」も参照 北方領土問題において、「千島列島」の範囲が一つの争点となっており、日本政府は、1951年にサンフランシスコ講和条約で千島列島を放棄したが、歯舞・色丹は含まない(北海道の一部である)としたうえで国後、択捉についても明確にしなかった。これは1946年2月のソビエトによる一方的な併合宣言や、すでに朝鮮半島で始まっていた東西陣営による角逐(朝鮮戦争)の緊張のなかで、北方占領地や台湾・沖縄・小笠原などが焦点となったためである。ソビエトも米国による西南諸島・台湾・小笠原諸島の国連信託統治の形での実効支配を非難し、また日本が放棄した旧領土(南樺太および千島)の帰属を意図的に除外しているサンフランシスコ条約の英米案を非難している。 サンフランシスコ講和会議において、吉田は国後・択捉のソビエトによる収容を一方的と非難し、また歯舞・色丹は北海道(日本の本土)であると説明している。その根拠として、日露和親条約第二条での平和的な国境の画定を指摘している。 和田春樹等によればサンフランシスコ条約で放棄すべきと明記された千島列島(クリル諸島)とは日露和親条約から明記されてきた地理的呼称であり北方四島は当然に含むものであり、日本政府の解釈(と和田のいう、クリルに北方四島は含まないとの主張)は誤りだとする。和田によればこれは日露和親条約を"誤訳"した日本語文を根拠とした主張であり、ロシア語・オランダ語からはこのような主張は成り立たないとする。 1992年5月、日本政府はロシア語のパンフレット『日本の北方領土』を発行し、ロシア国内に配布した。このパンフレットの中で、北方領土はサンフランシスコ条約で放棄したクリル諸島に含まれないとの主張をするため、日露和親条約第二条の日本語条文をロシア語に翻訳し、『実際の条約とは異なる』条文を作成したとする。
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