労組出身の政治家
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「ゲオルク・レーバー」の記事における「労組出身の政治家」の解説
ヘッセン州オーバーティーフェンバッハ(ドイツ語版)生まれ。宗派はカトリック。国民学校を卒業後、商人の修業を始めるが、石工の徒弟に転じる。第二次世界大戦にドイツ空軍の兵士として従軍。戦後は建設業に従事し、1947年に建設業の産業別労働組合 (IG Bau-Steine-Erden) に加入。1949年にはリンブルク・アン・デア・ラーン(ドイツ語版)で同組合の専従書記となり、三年後に労働組合紙「礎石」の編集員となる。1951年にドイツ社会民主党 (SPD) に入党。1955年、建設業労働組合の副委員長に就任し、1957年から1966年までは委員長を務めた。1966年には労働者向けの貯蓄積立銀行の設立に関わっている。 1957年、ドイツ連邦議会議員に初当選。1958年から1年間、欧州議会議員を兼任(当時欧州議会は各国議会から独立していなかった)。1961年、SPD議員団代表委員会入り。党内では右派に属した。1966年、大連立によるクルト・ゲオルク・キージンガー政権が成立すると、交通相として入閣。全ての西ドイツ国民をアウトバーンから20km以上離れたところに住ませないというアウトバーン整備計画「レーバー計画」を立案。しかし1970年代に実行に移されたアウトバーン整備事業は、彼の計画からやや変更されている。1969年に連立組み替えが起こってSPDのヴィリー・ブラント政権が成立したのちも、彼は交通相に留任し、郵政通信相を兼任した。
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