加工紙技術の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 03:43 UTC 版)
京では、紙漉きそのものが、律令体制の緩みによる原料の調達難から衰退したのとは対照的に、紙の加工技術で高度な技術を開発して、和紙の加工技術センターとして重要な地位を占めるようになっていく。紙を染め、金銀箔をちりばめ、絵具や版木で紋様を描くなど、加工技術に情熱を傾け、雅で麗しき平安王朝の料紙を供給していった。 京における高度な紙の加工技術が、平安王朝のみやびた文化を支えたともいえる。豊かな色彩感覚は、染め紙では高貴やかな紫や艶かしい紅がこのんで用いられるようになった。複雑な交染めを必要とする「二藍」や「紅梅」さらには、朽葉色、萌黄色、海松色、浅葱色など、中間色の繊細な表現を可能とした。 かな文字の流麗な線を引き立てるには、斐紙(雁皮紙)が最も適している。墨流し、打ち雲、飛雲や切り継ぎ、破り継ぎ、重ね継ぎなどの継ぎ紙の技巧そして、中国渡来の紋唐紙を模した紋様を施した「から紙」など、京の工人たちは雁皮紙の加工に情熱を注ぎ、和紙独特の洗練された加工技術を完成させた。王朝貴族の料紙ばかりではなく、実用的なさまざまな加工紙が京で加工された。元禄5年(1692年)刊の『諸国万買物調方記』には、山城の名産として扇の地紙、渋紙のほか、水引、色紙短冊、表紙、紙帳、から紙などをあげている。このほかにも万年紙屋、かるた紙屋があり、半切紙の加工も京都が本場であった。 万年紙は、透明な漆を塗布した紙で、墨筆で書くメモ用の紙で、湿った布で拭けば墨字が消え、長年に使えるので万年紙の名がある。製法は、楮の厚紙(泉貨紙)の表裏を山くちなしの汁で染め、渋を一度引いて乾かし、透明な梨子地漆で上塗りして、風呂に入れて漆を枯らし、折本のように畳んで用いるとある。半切紙は書簡用紙であり、これを継ぎ足したのが巻紙である。この書簡用紙を京好みに染めたり紋様を付けるなどの加工を施した。 半切紙の加工は、西洞院松原通りで盛んであった。色紙や短冊は、この半切紙に比べてより高級な加工が必要であったが、宮中御用の老舗が多かった仏光寺通りが色紙短冊の加工の中心であった。 から紙は、平安時代には詠草料紙として加工が始まり、後にふすま紙の主流となったが、本阿弥光悦の嵯峨の芸術村では、紙屋宗二が嵯峨本などの用紙として美しい紙をつくった。ふすま用の「から紙」は、東洞院通りを中心に集まっていた。このように中京・下京区には京の紙加工センターであった。
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