功績顕著によるもの(一代年寄)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 04:21 UTC 版)
「年寄名跡」の記事における「功績顕著によるもの(一代年寄)」の解説
現役時代の功績が著しかった横綱が引退した際、協会理事会がその横綱一代に限って認める年寄名跡である。現役時代の四股名をそのまま年寄名跡として使用し、退職まで有効。一代限りのため譲渡・継承は出来ないが、一代年寄以外に認められている年寄株譲渡・貸株の権利を制限しないために、一代年寄の名跡と別に一般の年寄株を一つ保有することが認められる。元々は1969年に現役だった横綱・大鵬に、内弟子集めを例外的に認めて「横綱・大鵬」と「年寄・大鵬」を並立させる工夫として生み出されたと言われるが、経緯の詳細はわかっていない。目安としては、幕内最高優勝20回が挙げられるが、制度としての明文化規定は無い。 歴代の権利取得者は、大鵬幸喜、北の湖敏満、千代の富士貢、貴乃花光司の4人。この内大鵬・北の湖・貴乃花が権利を行使し、それぞれ自前の部屋を構えた。千代の富士は九重部屋を継承する予定であったため、「部屋の名前は一代限りで無く末永く続くものにしたい」と辞退した。この他、朝青龍明徳は25回優勝したが、日本国籍を取得しなかったため年寄襲名資格を満たさず、現役引退とともに協会を退職した。白鵬翔は45回優勝しているが、引退直前に、後述の「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の最終報告書が提出されている。これが白鵬の一代年寄の議論に影響を及ぼし、議論自体が起こらなかった原因になったか、あるいは度重なる問題行動が影響したことによるものかは不明である。白鵬の引退間近のタイミングで突如としてこの声明が出現したことについては、白鵬に一代年寄特権を与えないようにするための策だったのではないかと考える識者もいる。このため、白鵬には一代年寄が適用されず、『間垣』を襲名した。 引退後、年寄として初めて番付に載る際は、上の名前が変わらないにもかかわらず一般の年寄と同様、氏名の上に「(四股名)改メ」と書かれる。また、審判委員に就任した場合、本来場内アナウンスでは「正面・審判長、『伊勢ヶ濱、元・旭富士』というように、年寄名跡と現役時代の四股名がアナウンスされるが、一代年寄の場合、「正面・審判長、『貴乃花』」というように一度だけアナウンスされる。 2021年4月19日に開催された「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の第11回会合の最終報告書には、現在の協会の定款に根拠となる規定はないなどとして、一代年寄の存在意義を示すものは見いだされないと論じられた。同会の山内昌之委員長は「『廃止』と理解されては困る。廃止ではなく、制度そのものが本来なかった。協会のどこにも規定がない。横綱大鵬に対して工夫されたもので、それがある種の制度として考えられた」などと説明している。このことから、今後新たな一代年寄が生まれない可能性が示唆されている。
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