創成とモンゴル帝国大元ウルスにおける使用
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「パスパ文字」の記事における「創成とモンゴル帝国大元ウルスにおける使用」の解説
モンゴル帝国の大元ウルスで国師であったチベット仏教のラマ、パスパ(パクパ)が、クビライ・ハーンの命を受けて、大元ウルス下の全ての言語を表記するための共用国字として作成した。 従来、モンゴル語表記に使用していたウイグル文字(ウイグル式モンゴル文字)は、モンゴル語の音を全て表記するためには不完全であり、大元ウルスが支配下に置いた地域で広く用いられている中国語のような全く異なった音韻体系を持つ言語に使用を広げるのは非実用的であった。また、元より先に華北に存在した遼や金も独自の文字を持っていた。このため、元のクビライは、大元ウルス全体で使用するための新しい文字の設計をパスパに命じた。パスパは、叔父のサキャ・パンディタが考案した文字を元に、モンゴル語や中国語などを包含するようにチベット文字(悉曇文字や現行のデーヴァナーガリーと同じくブラフミー文字の系列)を拡張した。1269年(至元6年)3月、パスパが作成した文字は元の国字として公布された。パスパの没後、テムル、カイシャンの時代、軟母音、後置字、再置字などのパスパ文字の細部の仕上げがされた。 この成果としての38字は、その形状に基づき「方形文字」などとも呼ばれるが、今日一般的には「パスパ文字」として知られている。元朝時代にはパスパ文字は、「蒙古字」ないし「蒙古新字」と称されていた。 字体の起源が、横書きのチベット文字にあるにもかかわらず、以前のウイグル文字や漢字と同様に縦書きであり、かつウイグル文字と同じく左から右へ書かれる。元朝の公的文書や碑文には、中国語をパスパ文字で表記したものも残されているが、全て漢字併記の形として書かれている。縦書きで漢字との併記になじみやすいという利点もあるが、声調を区別できない表記法であるため、意味の誤解を生みやすく、単独での使用には堪えなかったためである。しかし、モンゴル人などが漢字を学習する場合には、およその読みが分かって効率を高める働きがあった。また、通常の楷書体の他に、画数を増大させた篆書体も存在し、印章などにも使用されていた。
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