制度の停止と再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 18:44 UTC 版)
1945年(昭和20年)8月、第二次世界大戦の終戦とそれに続くGHQの占領統治により日本の官吏制度は根本的に変化したため、従来の叙勲内則の適用は困難となり、1946年(昭和21年)5月3日の閣議決定により、皇族及び外国人に対する叙勲と文化勲章を除いて生存者叙勲が一旦停止されることとなった。1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法では「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。」(14条3項)と定められたため、栄典に伴う様々な特権も廃止された。 なお、同憲法は内閣の助言と承認により天皇が行う国事行為の一つとして「栄典を授与すること。」(7条7号)を定めたため、以後、故人及び皇族、外国人に対する叙勲、文化勲章、さらに再開後の生存者叙勲は、同条を根拠にして行われている。 1948年(昭和23年)には新たな栄典制度の創設が検討され始めたが、その後しばらく、文化勲章と皇族叙勲・外国人叙勲を除き、生存者には叙勲されなかった。しかし、1953年(昭和28年)9月18日の閣議決定により、生存者であって緊急に叙勲することを要するものに対し、叙勲を再開した。再開されたのは、同年に西日本を中心として各地に風水害が発生し、これに対し救難、防災、復旧に尽力した功労者が多数に上り栄典制度活用の必要性が痛感されたことによるものである。また、1955年(昭和30年)には、内閣に臨時栄典制度審議会が設置され、新たな栄典制度の創設について審議が重ねられた。1948年(昭和23年)から1963年(昭和38年)までの間に、栄典制度に関する法案は、3回にわたり内閣から国会に提出されたがいずれも成立しなかった。 1963年(昭和38年)7月12日、池田内閣の閣議決定により、生存者叙勲の再開が決められた。これは、叙勲を含む栄典制度に関する法律は定めず、憲法7条7号を直接の根拠として、生存者叙勲を行うこととしたものである。生存者叙勲再開の閣議決定に従い、翌1964年(昭和39年)4月21日には、新しい「叙勲基準」が閣議決定された。これは戦前の叙勲制度が官吏及び軍人中心のものであったのに対し、日本国憲法の下では国民の各界各層を対象とする叙勲制度とするために叙勲の基準を新たに定めたものである。そして同月29日、吉田茂に大勲位菊花大綬章、石橋湛山・片山哲らに勲一等旭日大綬章を授与するなど生存者叙勲が発令された。以後、毎年2回、春と秋に叙勲が発令されている。
※この「制度の停止と再開」の解説は、「勲章 (日本)」の解説の一部です。
「制度の停止と再開」を含む「勲章 (日本)」の記事については、「勲章 (日本)」の概要を参照ください。
- 制度の停止と再開のページへのリンク