初期アッシリア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 03:24 UTC 版)
「シュメール」も参照 紀元前2000年紀に入る前の初期アッシリアの歴史は、文献史料が殆ど残されておらず、専ら考古学的成果によってその流れを把握するに留まる。 後世アッシリアと呼ばれる地方に人が居住し始めたのは極めて古い。紀元前6000年紀頃のハッスーナ文化期には、アッシリア地方の最も早い時期の集落、テル・アルパチア(英語版)、ハッスーナ(英語版)等が形成され始めた。 紀元前5000年紀半ば以降になると南部メソポタミアで発生したウバイド文化が北部メソポタミアにおいてもその全域に広がり、ニネヴェなどに大規模集落が形成されている。これは南部メソポタミアでの灌漑農業の拡大とそれによる人口増加、経済の発展に伴い、各種資源の需要が高まり、金属資源や木材や家畜類などの交易規模が増大した結果、概要にあるようなアッシリアの地理条件のために交易中継地として人々の移動が激しくなった影響で、南部メソポタミアの文化が北部メソポタミア全域にまで拡大したものと考えられる。その後のウルク期を経て、南部メソポタミアとは一線を画す独自の地方文化が形成されて行く事となる。 紀元前3000年紀半ば頃(初期王朝時代(英語版))、後に神格化される都市、アッシュルへの最初の居住が始まった。同じ時期までにカルフ(ニムルド)やアルベラ(エルビル)など、アッシリアの中心的役割を果たす都市の基礎も形成されている。 アッカド帝国の時代には既に都市国家として独自の政治体制が確立されていたと考えられる。アッカド帝国やウル第三王朝の時代にはその覇権下に置かれ、建築事業などの一部が文字記録として残されるようになる。アッカド・ウル第三王朝の時代と前後して、都市アッシュルの神格化が進み、政治的一体性を持った地方としてのアッシリアと、アッシリア社会の原型が形成された。そして、紀元前1975年頃、ウル第三王朝の滅亡と前後してアッシリアが古アッシリア王国時代へと入り、この時代にアッシリアは歴史に登場する事となる。
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