写真技術とモノクロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:02 UTC 版)
こういった映像表現の発生した背景には、初期の写真技術があげられる。カメラ・オブスクラ(カメラオブスキュラとも)と呼ばれる装置では、装置内部に投射される映像は色彩のあるカラー映像ではあったが、これを黒のインクないし鉛筆で写し描いた場合はモノクロの映像となった。後に画家の手は写真乾板に置き換えられたが、初期の写真乾板はアスファルトに光線を長時間当て、これによって光線の当たったところのアスファルトは硬化して洗浄した後も黒く残り、それ以外は基盤となったシロメ(錫・鉛合金)の白色が見えるようになっていた。ただ、この露光には8時間を要した(→写真史)。 後に写真乾板は改良され、より短い露出時間でガラス表面に塗布された化学物質が変化し、光の当たったところは黒く残り(影)、光の当たらなかった場所は白く(透明)なるようになっていた。ただこの方法では、「明るいところほど黒く映像として残る」というネガ(→モノクロフィルム)であったため、これに光を透過させもう一度反転させたポジを作ることで白黒映像として定着させた。 こうして光線から映像を自動的に写し取る写真技術は、写真乾板から写真フィルムの時代に入ってもモノクロ映像として長らく利用され続け、これは後に写真フィルムを高速かつ連続で撮影してこれを連続投射することで動いている映像としてみせる映画の発達以降も長く利用された。 カラーフィルムの発達した今日では、モノクロの映像は過去の映像などでしかあまり見ることの無いものであるし、またモノクロ映像も古くより手作業で色彩を施してカラー化された場合もあったことや、または20世紀末よりは計算速度が飛躍的に増大したコンピュータで映像を作り出すコンピュータグラフィックスの技術を導入して、これに色彩を載せる試みも始まっており、この中では過去の映像作品のカラー化も行われている。しかしカラー映像の発達初期においてもモノクロ映像はその描写性(精細さ)や光線の感受性の高さでカラーフィルムよりも勝っていたため、20世紀後半に入っても長らくは記録映像や芸術性を求めた映像作品のうちにモノクロ映像のものがしばしば撮影された。さらには、モノクロ映像の持つ独特の雰囲気はヒトの肉眼で捉えた色彩の世界とは違った印象を与えるため、敢えてモノクロ映像を採用した芸術作品があるほか、デジタルカメラなど最新の映像機器のうちにも「モノクロ撮影モード」(機能)を備える製品は多い。
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