写真愛好家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 19:17 UTC 版)
中学生の頃より写真機や撮影に深く興味を持ち、写真雑誌のコンテストに投稿するようになった。 浅草にあったヤマト商会という写真機店の店主がアマチュアの面倒見が良く「ヤマト写真倶楽部」という同好会を作っており、木村伊兵衛や井上正夫とともに所属していた。 「懸賞荒し」の異名を取るほど非常に入選が多く、特徴的な作画は審査員に覚えられてしまい、ある時などは「いつも賞金賞品を独占するのはまずい」と考え友人の名前を借りて応募したがこれも入賞、出版社から電話があり「この作品は間宮さんのではないか、それを認めるなら入選させる」と白状させられたこともあったほどであった。カメラの機構に深い興味があり、この頃から「いつかは舶来品を凌駕する立派な国産カメラを作ろう」と考え写真機の考案をしていた。 アサヒカメラのコンテストの一等賞品にライカが出た際にこれを獲得し、1931年に野崎昌人、柳勇吉、畑宗一などとライカ倶楽部を結成して写真活動をした。1938年にはアルス社から「ライカの使い方」を出版している。
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