写真判定用スリットカメラ
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「渡辺俊平」の記事における「写真判定用スリットカメラ」の解説
1937年(昭和12年)、理研科学映画株式会社が創立を迎える前年、1940年(昭和15年)のオリンピックが東京で開催されることが決まった。この第十二回オリンピック東京大会に向けて「組織委員会科学施設研究会委員・写真分科室主査」に任命された渡辺は、スポーツ競技の写真判定の研究を開始した。当委員会の会議において、オリンピックで要求される写真判定の基準について議論が交わされた結果、次のことが決定した。 写真判定で使用するカメラは、映画撮影機を改造したものを用いる。本体・レンズのいずれもアメリカ製で、本体にはシネコダックスペシャルを、レンズにはf1.4以上の明るさを確保するエクターの製品を、それぞれ採用する。 フィルムは、株式会社小西六(現コニカミノルタ株式会社)にて、高感度かつ上質な製品を、急遽開発する。 写真判定用カメラの映像にタイムを直接表示させるような仕様で、陸上競技等のタイム計測用タイマーを、精工舎(現セイコーホールディングス株式会社)が製作する。 ストップウォッチを用いて手動でタイム計測を行うのが主流であった当時において、渡辺は既に、「写真判定とタイム計測がより正確に行われるために、タイマーと写真判定用カメラはセットで動作するべきである」という考えを持っていた。そのため、第十二回オリンピック東京大会に向けて決定された上記の事項は、組織委員会・写真分科室の主査である渡辺の考えを反映した内容であった。しかし、1940年(昭和15年)の当該オリンピックが戦争の影響により非開催となったため、渡辺の写真判定に対するアイディアは、25年近い歳月を経て、1964年(昭和39年)の第十八回オリンピック東京大会で花開くことになった。「タイマーと判定用カメラはセットで動作すべき」という渡辺の考え方は、陸上競技の判定業務に何度も赴く中で、ストップウォッチで測定されるタイムに計測者の違いによる大きな誤差が生じる様子を目の当たりにし、極端な場合には、判定写真が示す着順とストップウォッチのタイムが矛盾する事態を体験することから生まれたものである。この1964年(昭和39年)の第十八回オリンピック東京大会において、渡辺は、陸上競技写真判定班の技術総指揮者を務めた。写真判定には、渡辺の発明によるスリットカメラを用いた着順判定計時装置が採用された。渡辺が発明し、自ら製作したこの装置は、写真判定用カメラに電子タイマーを組み入れた装置で、オリンピックにおいて世界で初めて写真電気的計時記録を正式採用させるという快挙を成し遂げた。従来の判定用カメラに比べ、渡辺が発明した写真判定用カメラは、「写真に直接選手のタイムが表示されて分かりやすい」「写真に判定線が入るので見やすい」等の特徴を備え、好評を博した。そして4年後の1968年(昭和43年)、第二十回東京都優秀発明展において、大会で使用した渡辺の写真判定用カメラに対し、特別賞および科学技術庁長官賞が授与された。 1971年(昭和46年)7月に出版された日本大学芸術学部の紀要「日本大学芸術学部学術研究」には、渡辺の自著論文「スリットカメラ型計時着順判定装置の研究と其の応用」が掲載された。同稿において渡辺は、スポーツにおける着順の写真判定が行われるに至った経緯と、着順判定装置として応用されるスリットカメラの原理、従来から判定装置として使用されてきた映画用高速度カメラとスリットカメラとの比較、計時機能の組み込みについて、詳しく説明している。
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