理研科学映画株式会社
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理化学研究所に入所した渡辺は、理化学研究所3代目所長を務めた大河内正敏の研究室に所属し、工学士としての長年に亘る研究生活を経て、独自の多面積式録音方式および自動現像方式を発明した。10年後の1935年(昭和10年)には、特許「X線録音装置」の発明により、発明協会大賞を受賞した。 その後、これらの技術的発明の産業化・実用化を目的に、1938年(昭和13年)4月、理化学研究所の後援の下で理研科学映画株式会社を創立させ、同年、取締役技師長に就任した。科学技術の教育映画の製作を行っていた理研科学映画株式会社において、渡辺は、文部大臣賞受賞作品の「或る日の干潟」や、文部省推薦作品の「陽炎」、厚生省推薦作品の「機械工作シリーズ」等、いくつかの映画製作に携わった。
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