再軍備の完了を待たずに戦争開始
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「ドイツ再軍備宣言」の記事における「再軍備の完了を待たずに戦争開始」の解説
1939年9月の第二次世界大戦開始時点で陸海空軍全て当初の再軍備計画を完了していなかった。「ポーランドに侵攻しても英仏は参戦しないだろう」とのヒトラーの誤算があった。海軍は1945年頃に向けての再建(Z計画)を図っている状況であり、陸軍も戦車は数量的に僅かであり、主力となるはずであったIII号戦車やIV号戦車の不足で、訓練用の戦車や併合したチェコ製の戦車を主力として実戦に使用した。空軍のみが時代の先端に達しているという状況であった。 海軍は当時の英海軍の前には比べるまでもなく非力な存在でしかなかった。軍艦建造は短時間で出来るものではない。また、全世界に張り巡らされた大英帝国のネットワークの効果は絶大である。陸軍も兵力数比較では連合国軍に大きく劣っていた。スペイン内戦でもドイツのI号戦車、II号戦車は攻撃力でソ連のT-26に劣っていることが明らかになった。また、急降下爆撃機のゲルニカ空襲の成功は、水平爆撃の非効率を印象付け、後の英米の戦略爆撃機に類するような四発重爆撃機の研究開発を遅らせた。 大戦緒戦における勝利は、スペイン内戦における実戦経験が大きかった。第一次世界大戦による戦争への忌避の風潮が大きかったこの時期において、この実戦経験は得難いものであった。そのうえにドイツ兵器の優秀性のみならず、奇襲による先制攻撃、旺盛な敢闘精神、戦車部隊と急降下爆撃機を立体的に展開した電撃戦等の戦術的な先進性、そしてスペイン内戦の参加による最新の実戦経験がもたらしたものである。しかし、戦争の長期化はドイツの生産能力の限界を露呈し出した。 海軍はヴェーザー演習作戦において艦艇の大量損失を招き、量産が短期間に可能なUボートに依存し、一時的にはイギリスの海上補給線を脅かすが、Uボート対策が採られはじめると、その効果は大きく減じられ、やがてUボートの損失が乗組員の養成を超えるものとなり破綻した。空軍はバトル・オブ・ブリテンに敗北し、独ソ戦でもドイツ軍のIII号戦車やIV号戦車といった主力戦車の砲弾ですらソ連のT-34やKV-1の分厚い装甲の前にことごとく跳ね返された。ソ連軍に恐れられたティーガー戦車も生産数量はわずかで(月産25両)、個別戦線の火消し役的な運用しか出来なかった。空軍はドイツ本土への爆撃に対して、一時的にはアメリカの昼間爆撃を中止させるまでの活躍をしたが、やがて英米の戦闘機の前に屈し全土が焦土と化していく。 結局、空襲を受けながらも高い生産性を維持するが、ドイツの兵器開発・量産能力はソ連とアメリカの圧倒的な生産力の前に屈服するのである。
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