再渡仏と第二次世界大戦とは? わかりやすく解説

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再渡仏と第二次世界大戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:35 UTC 版)

早川雪洲」の記事における「再渡仏と第二次世界大戦」の解説

1936年洲はフランスの映画会社からモーリス・デコブラ(英語版原作マックス・オフュルス監督の『ヨシワラフランス語版)』に出演する話を受け、大晦日家族残して日本離れニューヨーク経由フランスへ渡った。『ヨシワラ』は吉原に身を売った娘と某国海軍士官との悲恋物語で、洲は娘に密かな思いを寄せなんとかして吉原から救い出そうとする人力車夫演じ娘役田中路子共演した。この作品撮り終えると、洲は『チート』のフランス版リメイクの『フォルフェテュール(フランス語版)』(1937年)、再び田中路子共演したアジアの嵐フランス語版)』(1938年)に主演した1938年にはフランスで独立プロダクション旗揚げしようと考え3本フランス映画出演得た収入などから資金集め、翌1939年パリシャンゼリゼ通りに「デモフィルム」という会社設立した。その第1作マカオ賭博場舞台にした悲劇ドラママカオ 賭場地獄フランス語版)』だったが、撮影中の同年9月第二次世界大戦開戦し、翌1940年にはナチス・ドイツフランス侵攻し、『マカオ』が完成した頃にはフランス全土占領されていた。在フランス日本国大使館在仏日本人退避勧告出したが、映画製作懸命だった洲はパリにとどまる決断をした。『マカオ』はナチス映画検閲を受け、反ナチス俳優エリッヒ・フォン・シュトロハイム出演していたために上映許可下りず、何としても映画公開させたかった洲は、シュトロハイム出演部分フランス俳優代えて撮り直した。1942年にようやく『マカオ修正版が完成し検閲通過したが、それまでかかった3年間の洲は無収入で、資金続かず、デモフィルムはたった1本作っただけで閉鎖された。 1942年洲はナチス占領下パリ在住していた124人の日本人のひとりだった。戦時下思うよう映画作りができず、日本人映画出演するチャンスなおさらない中、洲は必ず映画出れる時が来ると信じて待ち続けた洲は日本人であるためドイツ軍には同盟国人間として扱われ、また国際的有名人であるがゆえに、芸術家たちをプロパガンダ利用するナチス目を付けられたが、洲はナチス嫌いで、対独協力にも積極ではなくドイツ軍一緒にいる写真撮られそうになるトイレ隠れるなどして警戒した1944年パリ連合軍によって解放されたが、フランス米英両国とともに宣戦布告した日本との戦争はまだ続いていたため、日本人連合国側からまだ敵国人と見なされていた。洲は同じくパリ滞在していた資産家薩摩治郎八とともに対独協力疑い投獄され在留日本人救出奔走し、そのためにアメリカ軍ジープ運転した同年にはドイツ軍検閲された『マカオ』をオリジナル版に戻すため、シュトロハイム出演部分をつなぎ直して再上映した。

※この「再渡仏と第二次世界大戦」の解説は、「早川雪洲」の解説の一部です。
「再渡仏と第二次世界大戦」を含む「早川雪洲」の記事については、「早川雪洲」の概要を参照ください。

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