アジアの嵐とは? わかりやすく解説

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アジアの嵐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/02 14:14 UTC 版)

アジアの嵐
Потомок Чингис-Хана
監督 フセヴォロド・プドフキン
脚本 O・ブリック
出演者 ワレリ・インキジノフ
撮影 アナトリー・スマット
製作会社 メシュラブポムフィルム(Межрабпомфильм)
公開 1929年11月10日
1930年10月31日
上映時間 90分
製作国 ソビエト連邦
言語 無声
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本編映像

アジアの嵐』(あじあのあらし、ロシア語: Потомок Чингисхана英語: Storm over Asia英語: Potomok Chingiz-Khana)は、1928年に 製作されたソビエト連邦のプロパガンダのモノクロサイレント映画の劇映画。 フセヴォロド・プドフキン監督の『』(1926年)、『聖ペテルブルクの最後』(1927年)に続く「革命三部作」の第3作目である。[1] 30年度キネマ旬報ベストテン2位。

ストーリー

キャスト

  • バイール - 猟師だが実はチンギス・カンの末裔:ワレリ・インキジノフ英語版
  • 司令官ペトロフ - イギリス軍人 :L・テディンツェフ
  • パルティザンの隊長 :アンドレイ・チスチャコフ
  • ヘンリー・ヒューズ - 毛皮商人 :ヴィクトル・ツォッピ)
  • ラマ僧:F.イワノフ
  • イギリス人宣教師:V.プロ
  • イギリス軍人・パイプスモーカー:ボリス・バーネット
  • イギリスの兵士:カール・グルニアック
  • バイールの父親:イワン・インキジノフ
  • ペトロフの妻:L・ビリンスカヤ
  • ペトロフの娘:アネル・スダケビッチ

スタッフ

エピソード

「宗教は阿片なり」というマルクス主義の定義に従って、ラマ僧はろくでもない連中として描かれている。

主役を演じたワレリ・インキジノフはシベリア出身の蒙古族の俳優であり、1930年にフランスに亡命し、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画「モンパルナスの灯」などに出演した。 [2]

受賞

  • 1952年のベルギー世界映画・美術博覧会におけるベルギー王立シネマテーク主催の映画史上のベストテン映画選出で14位となった。

公開

作品は1928年に完成。1949年にモスフィルムによりトーキー版が完成して1950年に公開。 1964年に新版が完成。

脚注

  1. ^ kinenote.
  2. ^ 佐藤忠男『映画史上ベスト200シリーズ・ヨーロッパ映画200』、キネマ旬報社刊、1990年6月30日発行(66-67ページ)

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