再浮上と2度目のリーグ5連覇(1980年代-1990年代)
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1979年、モレーナがスペインのラージョ・バジェカーノに移籍する。1980シーズンはナシオナル、モンテビデオ・ワンダラーズに次ぐ3位に終わった。ペニャロールが3位以下になるのは、1940シーズン(4位)以来40年ぶりのことであった。1981年、102万9000ドルの移籍金でモレーナが復帰すると、1981シーズンは2年ぶりの優勝を飾ると共に、ルベン・パスが17ゴールを決めて得点王となった。 1982年のコパ・リベルタドーレスでは12年ぶりに決勝に進出した。コブレロア(チリ)との決勝戦、ホームのセンテナリオで行われた1stレグはスコアレスドローであったが、アウェーのエスタディオ・ナシオナルでの2ndレグでモレーナが後半アディショナルタイムに決勝ゴールを決めた。ペニャロールは16年ぶり4回目の南米制覇を果たすと共に、通算7ゴールを挙げたモレーナは史上最多の3回目の得点王に輝いた。同年の国内リーグでは17ゴールを挙げたモレーナが4年ぶり7回目の得点王となった。同年末に東京で行われたインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)では、アストン・ヴィラ(イングランド)に2-0で勝利して、史上最多となる3回目の優勝を果たした。翌1983年のコパ・リベルタドーレスでも決勝に進出したが、グレミオ(ブラジル)に及ばず準優勝だった。 1986シーズンは、ペニャロールとナシオナルが共にクラブの財政上の理由で第1節に出場できないという出来事があった。ペニャロールはウラカン・ブセオとの初戦に不戦敗となったが、もともと第1節に試合が組まれていなかったナシオナルは影響を受けなかった。結局この差が最後まで響き、ペニャロールは、ナシオナルに勝ち点1差の2位でシーズンを終えた。しかし、日程の不公平を解消するための救済措置として優勝決定プレーオフが行われることになり、ペニャロールはPK戦の末にナシオナルを下して逆転で優勝を飾った。 1987シーズンも深刻な財政難というハンディキャップを抱え、また選手の平均年齢が22歳という若いチームだったが、コパ・リベルタドーレス決勝でアメリカ・デ・カリ(コロンビア)を破って5回目の優勝を果たした。決勝はホーム&アウェーの2試合を終えて1勝1敗(当時はまだアウェーゴールルールが採用されていなかった)となったため、中立地のチリ(エスタディオ・ナシオナル)でプレーオフが行われ、延長後半アディショナルタイムにディエゴ・アギーレ(スペイン語版)が決勝ゴールを決めた。その一方で、同シーズンの国内リーグは過去最低の8位に終わった。以降、1988年から1992年までは国内外でタイトルから遠ざかった。 1993年に、1990 FIFAワールドカップでウルグアイ代表オスカル・タバレス監督のテクニカルアシスタントを務めたグレゴリオ・ペレスが監督に就任すると、1993シーズンで7年ぶり39回目の国内リーグ優勝を遂げた。以降、1997シーズンまで5年連続でリーグを制し、5連覇(キンケニオ・デ・オロ)を複数回達成したウルグアイ初のクラブとなった。この時代の著名選手には、パブロ・ベンゴエチェア、ネルソン・グティエレス、ダリオ・シルバ、カルロス・アギレラ、アントニオ・パチェコなどがいる。
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