兵力の配備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 07:08 UTC 版)
1944年にマリアナ諸島を喪失した頃、日本陸軍の総兵力はおよそ400万人であったが、そのうち、日本本土にあったのは、東部、中部、西部の各軍を合わせても約45万6千人で、総兵力のわずか11%に過ぎず、防衛戦を行うには兵力が不足していた。 兵力の欠乏を補うため、満州や北方からの部隊転用が行われたほか、「根こそぎ動員」と呼ばれる現役兵から国民兵役に至るまでの大量召集と部隊新設が進められた。根こそぎ動員は、以下の通り、大きく3回に分けて実施された。 1945年2月28日に臨時動員が下令された第一次兵備 4月2日と6日にかけて臨時動員が下令された第二次兵備 5月23日に動員下令された第三次兵備 これらの動員によって、一般師団40個、独立混成旅団22個など約150万人近くが動員された。日本軍は、前述の時期を念頭に部隊の編成を実施した。しかし、期間や物資の制限から最終的には、兵力や装備が不足していても、編成が完結したと見なす方針が取られた。そのため、これらの師団は結局中途半端な人員・装備のままで配備されていった。 さらに、緊急時にのみ召集する防衛召集方式の部隊も、補助的な戦力として増設された。沿岸警備などを目的とした特設警備隊が引き続き編成されたほか、後述の国民戦闘組織と連携する部隊として地区特設警備隊も編成が始まった。従来は徴兵関係の事務処理機関だった連隊区司令部も、地区特設警備隊などを指揮して戦闘任務を負うことになり、職員兼任の地区司令部が新たに編成された。これらの部隊は兵器・訓練とも極めて不十分な状態であった。 以上のほか、本土所在の軍部隊の増加に応じた軍の秩序維持や軍民関係調整を図ることなどを目的に、国内配備の憲兵の大幅な増強も行われた。正規憲兵だけで14203人に及び、さらに補助憲兵9222人も増加配属された。これにより、国内憲兵は一挙に3倍の兵力となった。
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